2004年3月号(第50巻3号)

〇朝夕は冷たい風に身を縮め,日中のまだ頼りなげな暖かさにおそるおそる伸びをする,そんな陽気である。開きかけた桜の花もじっと様子をうかがっているようでもあり,この季節,および腰で春の支度をするのは,花も人間も変わりがない。

〇この頃は三寒四温のあたたかいところだけを見繕って,小さな散策を楽しんでいる。その一つ,武者小路実篤記念館は自宅から歩いて行ける距離にあるお気に入りの場所で,気が向いたときにたびたびお邪魔する。ここには資料などを公開している記念館と,地下道でつながっている屋敷跡とがある。

実篤が70歳から90歳で亡くなるまでの20年間を過ごしたこの屋敷には,公開日であれば立ち入ることもできる。仕事部屋の窓辺に添えられた長々しい作業机には個性を放つ人形や壷などが雑多に置かれている。机を縦にとり,それと向き合うようにひとつ置かれた座椅子にはぬくもりさえ感じられ,実篤が戻って仕事を続けるのを待っているかのようであった。

屋敷の庭にはさまざまな草木が息づいており,いまも武蔵野の面影を湛えている。保存を手がけている方々によって守られ,恐らくは訪れる客以外何も変わることのないおだやかな時間が流れているのである。先日は珍しく人影もまばらで,桜の木の下のベンチを長々と占領し,たった一本の桜と対話をするようなお花見を楽しむことができ,幸運であった。

81歳の実篤が描いた作品「冬瓜と南瓜」では,仲良く並んだ冬瓜と南瓜の絵に温かみのある書で“君は君 我は我 されど仲よき”と記してある。ここにあるものすべてに親しみと安らぎを感じるのは,人生の美しさと人間愛を説いた実篤のあたたかい人柄がどこかしこにも沁み込んでいるせいなのかもしれない。

(大森圭子)