2022年6月号(第68巻6号)

〇早い所では5 月の初旬から始まる梅雨入り。日本各地で次々に梅雨入りが発表されるなか、梅雨入りが一番早い地方と一番遅い地方とでは、梅雨明けと梅雨入りの時期があまり変わらない。同時期に、晴天の下で悩みなく過ごす人もあれば、雨を避ける道具を必要としている人もある。わが身が置かれた環境ひとつでいろいろと違いはあるものの、いつかまた誰にも良い日が訪れるところは、どこか人生の縮図にもみえてしまうのである。
〇「雨」 と聞くといつも浮かんでくるのが 「アメフラシ」 という名前である。「アメフラシ」 は海に棲む軟体動物で、「雨降」 「海虎」 「雨虎」 の漢字があてられている。シャチにもまた 「海虎」 の名があるが、こちらといえば猛々しい「 虎」 とはかけ離れた容姿。
一見すると太っちょのナメクジのようにも見え、まるまるとした体をぬらぬらと光らせている。「アメフラシ」 という名の由来は、これを岩場で見かけると雨が降るという説、触ると背中から紫色の汁を出し、これが雨雲に似ているのでその名が付いたという説などがある。貝の仲間で、地域によっては茹でて食用にされ、食感が良いとのこと。エサは海藻なので、体にも良さそうだ。
 もう一つこの名から浮かぶのは、雨にまつわる妖怪である。「妖怪アメフラシ」 の名前に聞き覚えがあるのだが、水木しげる記念館のホームページで調べたところ、この名前は載っておらず、鳥取県 境港駅から記念館まで続く 「妖怪ロード」 のブロンズ像 177体の中の No.139に「 雨ふり小僧」 の名を見つけた。柄のない傘をかぶり、お団子が二つ重なったような2 頭身の体をわずかに前にのめらせ、裂け目から覗く丸顔には団子鼻、伏し目になり、落ちた雨粒の行方を見守るかのように地面をじっと見つめている。なんとも気の弱そうな姿。説明を読むと、「雨師という雨を降らせる神様に仕える子供の妖怪」 とあった。時代を遡ると、浮世絵師 鳥山石燕が描いた妖怪の図録『 今昔画図続百鬼』( 1779年) にも同じくその姿があり、手に提灯をぶら下げ、そぼ降る雨の中に心細げにじっとしている。横にある説明書きもまた同じで 「雨のかみを雨う師しといふ雨ふり小僧といへるものハめしつかハるる侍じ童どうにや」 とあった。
 「幽霊」 「化け物」 「変化」 とは違い、人々の信仰が薄れ、落ちぶれた神様とされる 「妖怪」。以前観たテレビ番組で、水木しげる氏が 「妖怪の中に、むかしの人の気持ちが、いろいろこめられているような気がしてならない…」 と語っていた。自然と人間が一体となったむかしの人々の暮らしや、自然への畏怖のなかで芽生えた思いを忘れないためにも、妖怪は後世に伝えるべき大切な存在と理解した。
 さて、水木しげる記念館のホームページでは、妖怪を棲む場所によっても分類している。ちなみに「雨降り小僧」 は「 身近にひそむ妖怪たち」 の仲間である。妖怪の出現時間はたそがれ時 −このため、古くはこの時間に出歩かないようにする風潮もあったという…。梅雨時期の夕暮れどき、雨の中に佇む「雨降り小僧」 にいつか出逢ってしまうかもしれません。

(大森圭子)