2022年6月号(第68巻6号)

わが師二人

元・国立感染症研究所室長   
元・理化学研究所チームリーダー
加藤 茂孝

 森鴎外は「妄想」の中で、「自分は辻に立つてゐて、度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あつたのである。帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行かうとは思はなかつた」と書いている。私は「跡に附いて行こうと思う師」二人にお逢い出来た。残念なのは、私の人生の後半でお逢いし、共に鬼籍に入られている事である。
 杉浦昭先生はインフルエンザウイルスを研究され、国立予防衛生研究所(現: 感染症研究所NIID)時代私の属した部の部長として着任され、退官直後(1991年)に亡くなられた。豊島久真男先生は、がんウイルス・がん遺伝子を研究され、私が後に所属した理化学研究所感染症センターの研究顧問であったが、2022 年3月9日(91歳)に亡くなられた。
 杉浦先生は真面目過ぎて初対面の人には一見怖そうに思われる事があったそうだが、優しい方で照れ屋であった。一方、豊島先生はいつもおだやかでにこやかであった。そのちょっとした外見上の違いを除くと、お二人は驚くほど似通っていた。私が気づいた二つの共通点がある。
 一つ目は、優れた業績を上げられたにもかかわらず、誰にでも平等に接しられた事。杉浦先生の亡くなられた時、私は、NIIDの研究者組織の学友会の幹事をしていたので学友会誌の追悼特集号を企画した。海外を含めて多くの研究者からの文章には、寡黙、誠実、鋭い思考、そして人に対する優しさが金太郎あめのごとく、共通して書かれていた。病気入院中の部員を見舞いに行っても、眠っていたので、「また来よう」と看護師に伝えて患者を起こすことなく帰えられた。看護師が「優しい方ですね」と患者に伝えたから分かったという。論文の添削をしていただいたが、論旨をまっすぐに通す事と、関係はあっても論旨から外れる枝葉部分を厳しく削除された。骨と皮ばかりになったが、余計なものが何一つなくなり、論旨が際立ってきた。豊島先生も年の離れた私に対して「先生」と呼びかけて戴き、本誌に掲載された「人類と感染症との闘い」にも大変興味を持っていただき感想、励ましをいただいた。一緒に何度か食事をさせていただいたが、いつも楽しく明るい話題であった。社会情勢にも詳しく鋭い指摘をされていたが、意見が異なっても、「僕はこう思うのですがね」などとにこやかに話された。
 二つ目は、50 歳過ぎたら自分は最早自分の手を動かして研究できないので、後輩の支援の側に回るという姿勢であった。
どうすれば良い研究環境にできるかや予算獲得に努力され、また研究の妨げになる雑用は自分が引き受けようとされた。そのお二人の人格に触れて、私も研究では遥かに及ばなくても人格を学ぼうと強く思った。
 杉浦先生は通勤に当たって、原付自転車に飄々と乗られていたし、豊島先生はJR 線のガード脇の一見汚く見えるラーメン屋を愛好されて「いろいろまわってみたけどここのラーメンが一番美味しい」とご紹介いただき、店の正式名称はあるけれど、我々は「豊島先生のラーメン屋」と言って良く通った。今でも、わざわざ立ち寄って先生を懐かしむ。
 森鴎外がこのお二方に会ったら何と言うであろうか?