2021年12月号(第67巻12号)

〇今年もまた新型コロナウイルスが、私たちの暮らしに暗い影を落とし続けた一年となりました。医療従事者の皆様をはじめ、さまざまなお立場から人々の健康と暮らしを守り、また、病と闘っておられる皆様のご尽力に心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げます。
 また、このような生活のなかでも、読者の皆様、ご執筆者の先生方、歴代の編集委員の先生方、本誌製作・発送にかかわるスタッフの皆様ほか、大変多くの方々にこれまでと変わることのないご支援をいただきましたこと、おかげをもちまして、本年も発行を続けることができ、本誌編集において、いつもと変わらない年末を迎えさせていただいたことに心より御礼申し上げます。
〇松尾芭蕉の句に 「成にけり なりにけり迄 年の暮れ」 がある。年の暮れになったが、年の暮れになったと言っているうちはまだ年の暮れである、という意味である。芭蕉の気持ちとしては、年の暮れになってしまったが、もしも年内にやり残したことがあっても、まだ時間があるよという慰めだろうか。それとも、残り時間をめいっぱい頑張れ、と追い立てているのだろうか。やり残したことはいつになっても無くならないが、そんなふうに今年も1 年が終わろうとしているところである。
〇年の瀬と言えば、定番で聴こえてくるのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲の 「交響曲第九番 (合唱付き)」 である。ベートーヴェンは言わずと知れたオーストリア・ドイツの偉大なる作曲家・ピアニストである。1770 年12 月、宮廷音楽にかかわる一族のなかに生まれ、幼い頃より音楽教育に恵まれる環境で育つが、早くに亡くなった母に代わり、父や兄弟の面倒をみることになる。なかでも宮廷歌手であり、そもそも好酒家であった父親は、妻を失い、また同じ年に娘を失ったことからアルコール依存症とうつ病を患い、収入もままならず、大変な苦労をベートーヴェン少年に与えたようである。ベートーヴェンの苦労はこれだけでは収まらず、30 歳に近づく頃になると、持病の難聴が悪化する。次第に弱まっていく聴力に自殺を考えるようになり、1802 年には遺書を書くほど精神的に追い込まれたが、翌年からはこれを振り切るように創作活動に没頭し、1827 年3 月に57 歳で亡くなるまで、音楽に捧げる生涯を全うした。
 彼が40 歳 (1810 年) の頃には聴覚はほとんど失われ、指揮棒を歯で挟み、その先をピアノの鍵盤に押しあてて骨伝導で振動を感じてピアノの音を聴いていたといわれている。1824 年にウィーンで初演された大作の「 第九」 もまた、その後に作られた曲の一つである。シラーの詩“An die Freude(歓喜の歌)”を用いた合唱のある第4 楽章は、1821 ~ 1823 年に作られており、シラーの詩に感銘を受け、合唱曲にしようという構想から30 年ほどの年月が経っていたというので、さまざまな困難を乗り越え、長年の思いを遂げた曲でもある。
 早くに母を失い、父に悩まされたベートーヴェン、大いなる作曲家を創った育ての親は、苦悩に苛まれた人生からの精神力という贈り物でもあるだろうか。
 「人生は人間に、大いなる苦労なしには、何も与えぬ」(ホラティウス)
 今年一年、短いようで、思い起こせばいろいろなことがありますが、それも全て、今後の人生の糧になっていくことでしょう。
〇本年も本誌をご愛読たまわり、ご支援をいただきまして、誠に有難うございました。
 来年も変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

(大森圭子)