2021年9月号(第67巻9号)

〇つい先日までの夏本番の世界はどこに行ったのか、気づけばどこも秋の気配に満ちている。働き者の秋の使いがやってきて、あたりをくまなく飛び回り、慌ただしく夏のかけらをかき集めては、一つ残らずどこかの国に運び去っていったのだろうか。
夏から秋への移り変わりはいつもあっけない。

秋が来た、
涼しい秋が来た、
淋しい秋が来た、
彼女なつかしい秋が来た。

彼女を恋し始めたのは秋だった。
彼女を恋していることを母に打ちあけたのも秋だった。
彼女の遠くへ引っ越したのも秋だった。
さもなくも秋は淋しい時だ。

(「秋が来た」 武者小路実篤 / 「武者小路実篤詩集」
亀井勝一郎編( 新潮文庫) より抜粋)

 秋の訪れに淋しさを感じるのは、夏との突然のお別れに心が追い付けないせいだろうか。
〇これからひと頑張りして何かをするときに、思わず出る言葉が掛け声である。何か動作を起こすときに出る 「どっこいしょ」 という言葉は、一説によると仏教用語の 「六根清浄 (ろっこんしょうじょう)」を語源としているそうである。人の五感と第六感により迷いを生じさせる器官 (眼・耳・鼻・舌・身・意識) が六根であり、これらを清らかにするという意味があるようだ。修行のために霊山を昇る際などにこの言葉を唱えるそうで、「六根清浄」 が訛って「どっこいしょ」 となったといわれる。厳しい修行に耐え、もうひと頑張りと山を登るときに発していたことから、その意味として伝わったのかもしれない。私など、ただ椅子に座るだけでつい口に出てしまい、連日訪れてくれる本誌製作担当のI 氏に 「また、言いましたね」 と笑われる対象となるが、語源を知ると、そう軽々しく口にしていられない。一方で「 どっこい」 は、「あれ」「 どれ」 などと同じく代名詞から転成したとする説、また、相撲用語の 「どすこい」 に転訛した掛け声であり、「どっこい、そうはいかない」 という用い方をするように、相手の気をそらし、動作を遮るための 「どこへ」 という言葉を語源としているとの説もある。
〇いつのまにかカレンダーの残りも少なくなり、今年の終わりが遠くに見えてくるこの頃。今年中に終わらせたい仕事をもうひと頑張りせねばと本腰を入れるきっかけとして、秋風の冷たさが一役買ってくれているようでもある。

(大森圭子)