2021年9月号(第67巻9号)

ポリオワクチン緊急輸入の頃

元 国立感染症研究所室長
加藤 茂孝

 長く待たれていた新型コロナに対するワクチン接種者が日本国内でも増え始めている。8 月20 日現在で、2 回接種した人が、人口の39.7%に達した。それでも先進国の中で、接種開始も接種率上昇も格段に遅れている。
 そのワクチン輸入と接種にいろいろと苦労している今、短期間に1300万人のワクチンを緊急輸入し幼児への緊急投与(注射ではなく経口で飲ませるので投与)に成功した1961 年のポリオワクチンの事を思い出す。
 世界中がワクチンを求めて競合している現在と比べても当時も同じかそれ以上に厳しい状況にあった。一つには、投与を希望している生ワクチンがロシア(現ポーランド)生まれで米国移民のセービンSabinが開発したワクチンで、当時は、ソ連とカナダしか製造承認されていなかった事であった。WHO は生ワクチンの投与を推奨していた。二つには、緊急輸入し緊急投与するに際して、正規の国家検定をする時間的余裕がない事であった。
 この二つの問題を乗り越えたのは、NHKの記者・上田哲の確信と頑張りであった。NHKを動かし、ポリオの流行状況(感染者数)を毎時のTVニュースで報道し、流行地でのルポを行った。法学部出身でウイルス学の知識のない彼は小児科医の平山宗宏と、とことん議論をしてここは生ワクチンの一斉投与しかないと確信し、1961年6月16日に患者数が1000人を超えた時点を狙って大々的に生ワクチンキャンペーンを張り、幼児を持つ全国の母親を動かした。母親達は、上京して厚生省の建物を取り囲んで生ワクチンを要求した。この時の厚生大臣は後に日中経済交流を推進する古井喜実で、「大臣の責任で試験接種を行います」と表明し、緊急輸入と一斉投与が始まった。
 この科学的見解を伝えた小児科医とそれに則り確信ある報道を行ったNHKと大臣の決断が社会を動かし一斉投与を実現させた。この一斉投与で日本のポリオ患者は急減して、数年で日本は根絶に成功した。この日本の成功を見た各国も一斉投与を始めだし、1980年に天然痘根絶に成功したWHOは、ポリオ根絶計画をスタートさせた。苦労を重ねながら2021年現在、野生型ポリオが常在する国は、世界でわずかアフガニスタンとパキスタンの2 か国までになった。あとわずかの頑張りである。戦争状態の国での根絶の大変さは天然痘根絶計画の折のソマリアでも経験したが、ポリオでも同じでなお厳しい状況にある。ワクチン緊急輸入と一斉接種問題が起きるといつも思い出す1961 年の劇的な事件である。