2020年10月号(第66巻10号)

〇秋の天気は気紛れで、室内に射し込む明るい陽射しに安堵し、薄着で出かけると、早々と日が暮れた帰り道で、想定外の冷え込みに辛い思いをすることがある。ヒンヤリとした空気に背中を押され家路を急ぐ夜道で、ふと空を見上げると、濃紺の空の下、行き場を無くして漂うハロウィンのお化けのような不気味なグレーの雲の群れが一斉に動きだしゆっくりとついてくる。広い夜空の主になり、天空を背負って歩いているような、ハロウィンのお化けに狙われているような、秋空はいつも不思議な気分にさせる。
〇秋のある日、いつか見た美しくのどかな田園風景のひとこまに「稲架掛け」の存在はないだろうか。
稲架とは、刈り取った稲を干すための竹や木で作った柵のことで、はぜ、はさなど地域によって呼び方は様々である。まず、稲を束にして縛り、大きさの違う2 つのレバーを同時に前後に操るように、アンバランスな割合に稲をふた手に分けて、稲架に挟むようにして掛ける。語源には諸説あるが、その一つ挟むという説の由来と思われる。
 「稲」の「禾」は頭を垂れる稲穂、「ノ」と「ツ」で人の爪を「日」は臼のことである。つまり、収穫から脱穀までを「稲」の一文字だけで表している。一方「架」は、力強い腕、口、木の象形文字でできている。
ご承知のとおり「加」には加える、増やすの意味があり、支柱の上で力と祈りを加えるという意味もあるらしい。
 大型のコンバインで刈り取られ、一気に収穫から乾燥まで終えた米に比べ、小型バインダーで束ねられ、稲架の上でじっくり天日干しされた米は、稲架掛け米といって、逆さに干すことで甘味が溜まり、日光によってビタミンなどの栄養素が豊富になるという。先人から伝わる知恵と自然の力と人々の祈りによって、文字どおり稲架の上で、様々な祈りが実を結び人への恵みが増やされていくのである。

稲掛けて 梢短き 竝木かな 正岡子規

 気まぐれな自然との共同作業でやっと手に入れた大地の恵み、それを授かる人々の手前で大地に横たわる稲架は、長きにわたり自然と人の命をつなぐ架け橋の役割をしてきたといえるかもしれない。
 稲架掛け米の美味しさ、いつか先人達への感謝と共に味わってみたい。

(大森圭子)