2020年8月号(第66巻8号)

〇長く花を咲かせることからその名がついたという百日紅(さるすべり)の花。はじけてすぐの花火のように華やぐ姿を日々楽しんでいるうちに、8 月も終わりに近づく頃になって、さすがに少しくたびれた様子。鮮やかだった花の紅色も、照り付ける日差しのなかで乾き、白っぽく色あせて見える。
 まだまだ暑さは続くものの、夏にさよならをするのはいつも何か寂しく心残りである。
〇人にとって、五感のそれぞれで感じ、心地よいとされる周波数1/f の揺らぎとは、人が予想する動きをわずかに裏切るものだという。例えば、ろうそくの焔の揺れや風に乗って届く木々の香り、ゆったりとした電車の揺れなど、単調のようで変化し続ける、
ずっと寄り添っていても飽きのこないゆらぎは生活の中に溢れている。小さなオアシスがすぐ傍にあること、気持ちを少し切り替えて肩の力を抜くと気づける幸せは少なくない。
〇カタカナの文字の形をして宙を飛び交っているような、奇をてらう人工的な音に囲まれる日々、この猛暑の中では暑さが増すようにすら感じられる。これに対し、先人は暑さを凌ぐために、音を聞いて涼をとる知恵を授けてくれた。なかでも真っ先に浮かぶのは風鈴の音である。
 風鈴は風鐸(ふうたく)や簷馬(えんば)とも呼ばれ、もとは玉のかけらを竹林に吊るし、風によって触れ合う音で占いを行ったとする占風鐸を初めとする。また、古くから音により邪気や疫病を払う風習があるが、寺院の四隅に吊り下げられている風鐸は
風鈴の前身であり、この音が聞こえる範囲は聖地とされている。風鐸はいつしか、音を楽しむものとして発達し、江戸時代には風鈴売りが登場し、風鈴蕎麦といって屋台に風鈴をぶら下げてそばを売る行商もあったそうである。
 日本各地に、それぞれの地で発達した焼き物やガラス工芸などの技術を用いた様々な風鈴が存在し、小さな風鈴の一つ一つにも熟練された技術とこれを培った努力の壮大な歴史が凝縮されている。最近では、各地の神社にて、短冊に願い事を書いて風鈴の糸に結び付け、祈りをささげる「願い風鈴」の行事も盛んになっており、コロナの収束を願う短冊が多くあると聞き、皆の心が一つであることをあらためて実感する。
 コロナに加え、尋常でない暑さで熱中症の恐怖にも脅かされる現状では、何より、一人一人が注意を怠らないことが重要である。
〇夏の日差しが差し込む駅のホームで、お年を召されたご婦人がこちらにむかってゆっくりと歩いてこられた。すれ違いざま、背中に背負った小さなリュックの中から、水筒の氷が揺れてカラカラと鳴る軽やかな音が聞こえた。
 自分の身を守るために奏でられたその音は、小さいけれど頼もしく、他のどんな音より耳に心地よく、心を穏やかにしてくれた。