2020年1月号(第66巻1号)

我が犬のいる風景(続)

鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科
システム血栓制御学 特任教授
丸山征郎

 私は本誌に「我が犬のいる風景」と題してエッセイを書かせていただいた。(第47巻・3号、平成13年3月10日発行)。米国留学時代(1982-85, セント・ルイス)、帰国後、娘が“セント・ルイス ロス”に陥ったので、犬を飼い始め、娘の親友が飼っていた犬と同じ名前(ファジー)にしたのである。エッセイは、その“ファジー(シェルティ)”が逝った時の寂しさを書いたものである。ほどなくして私達はゴールデン・レットリーバーを飼った。名前はブッチとした。息子が1歳のころの喃語である。今度は大型犬で、私としょっちゅうジョギングした。しかしこのブッチも11年で寿命を迎えた。娘も息子も、すでに成人になり、寂しくなっていた私達夫婦は、新しく3頭目の犬を飼い始めた。その仔犬はペット屋さんのケージの片隅でガタガタ震えていた。今度はラブラドールのメスである。東日本大震災の2, 3か月前に福島で生まれたということであった。“そうか、お前の父さんも母さんも津波で流されたのか”と私に勝手に身の上を決められて、我が家の一員となった。名前はカノンという。犬と人間の歴史は古く、周知のごとく、狼から派生したということになっている。日本でも縄文時代の遺跡からも発見されるという。ネアンデルタール人はオオカミと敵対し続け、クロマニオン人・オオカミ連合軍に駆逐されてしまった…という説もある。それでも群れを成して集団生活をしていた時代の悲しい性か、今でも救急車や消防車のサイレンが鳴ると、一斉に近所の犬君たちは呼応して鳴き始める。「なぜ、犬はしっぽを振るのですか?」私は獣医学の先生に質問したことがある。「それは、一回にたくさんの同胞と生まれる仔犬は、“俺はここだゾー”と母に知らせるためですよ。という答えであった。わがカノン君は、“全体集合!”の合図の遠吠えには無関心であるが、しっぽだけはよく振る。これもまた生存戦略の名残であろう、「私はここよ、えさを私に!」 一方、犬はアイコンタクトする。この時に、犬にも飼い主にも脳内で“オキシトシン”が分泌されることを麻布獣医大のグループが証明して注目された(Nagasawa, M et al. Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds. Science 348.232, 333, 2015)。なんと、ちゃんと飼い主にもご褒美をくれるのである。遠吠えもアイコンタクトという生存戦略は、昨今増加が問題となっている発達障害の研究にヒントを与えるかもしれない、と思いながら、しっぽを振って合図してくれる我が愛犬カノンとアイコンタクトしつつ、私はエサを食べさせる役をこなしている…。