2018年7月号(第64巻7号)

清潔と不潔

東京逓信病院 病理診断科
田村 浩一

外科医は自分の持っている細菌を患者にうつさないように手洗いをし、手術着、帽子、マスク、手袋を身に着ける。術野は清潔な布で覆われ「清潔領域」が確保される。その領域外にちょっとでも手が触れれば術野から追い出され、初めから手洗いのやり直しとなる。テレドラマで、術衣と手袋で身を固めた俳優が帽子もマスクもせず、開いた傷の上で口角泡を飛ばしているのをみると、医療従事者の多くは目を覆うことになる。
病理解剖でも外科と同じような身支度をするが、目的は逆で、どのような感染症があるかわからぬ遺体から病理医が身を守るためである。万が一、病理医が遺体から感染すれば、その原因を病院内にばらまいて院内感染を引き起こすことになるからだ。
これらの「清潔と不潔」の区分けは徹底して身につけさせられる。しかし外科医の「清潔」は患者のためで、周囲には無頓着となるようだ。外科医は術後に病理科に来て、手術で切り取った臓器の写真を撮り、板にピンでとめて固定し、リンパ節を切り取って番号のついた瓶に入れるなどの処理を行う。彼らは手袋をはめているものの、臓器の血液が周りの机に付くのは気にならないようで、周囲を汚したまま立ち去る者がいるのは困ったものである。医療感染物から医療従事者が感染を起こす危険性を説いても、臓器を触れているうちに手術室と同じ「術野以外は不潔領域でよい」という感覚になるらしい。
病理医の場合はどうだろう。昔、クロイツフェルト・ヤコブ病の症例の解剖を行った時のこと。解剖で汚染される領域を隔離し、体液・血液もすべて吸着させて処理するという徹底した感染防御策を講じて解剖を行ったが、先輩病理医が「隔離領域」の外にある道具入れに、血の付いた手袋でハサミを取りにいったのには驚いた。気づいたときは遅く、解剖後に消毒しなければならない器具や領域は極端に広がってしまった。「清潔・不潔」の意味はわかっていても、いつもと状況が変わると間違いが起こる例だろう。
「清潔と不潔」の区分けが必要な例は、一般社会でも多く存在する。最近気になっているのは、パン屋さんのレジでの包装だ。菓子パンを1つずつ、ポリエチレンなどの袋に入れてくれるのは良いが、トッピングなどのある菓子パンはその前にワックスペーパーをかぶせている。このペーパーを取り出すとき、ほとんどの店員が紙の両面をつかんで袋からひっぱり出し、ご丁寧に自分の指で持った面をトッピングに密着して挟み込んでいるのだ。これは自分の手についた雑菌をワックスペーパーに押し付け、それを細菌の栄養となるトッピングにかぶせて移行させていることになるのだが、誰も注意はしない。また食パンを切るのは手袋をはめて行っているのだが、先日はその手袋を変えずにレジのお釣りを渡し、また次のパンを切りにいく店員をみかけた。「それって、あなたの手を菌から守っているに過ぎないんですけど」と喉元まで出かかったが、後ろにお客がたくさん並んでいる状況で言い出せなかった。様々な業界で汚染対策をしているようだが、細かな点まできちんとご指導しないと、「みかけの清潔もどき」では感染は防げないと心配になっている。