2018年3月号(第64巻3号)

現役時代を振り返ると道が一本につながっていた

文京学院大学名誉教授
芝 紀代子

私は東京医科歯科大学医学部の助手、講師、助教授、教授として約40年務めたのち、文京学院大学の教授として10年務め、通算50年の長きにわたって臨床検査の仕事に従事してきました。平成29年2月、臨床検査医学に功績があった臨床検査専門家を表彰する「藤田光一郎賞」を受賞しました。15人目で女性として初めての受賞とのこと大変うれしいことでした。
私の世代では、仕事する女性にとって必ずしも恵まれた環境とはいえず、あくまでも男性優先の社会でしたから、階段を上がるたびに足元がぐらぐら揺れ、何度もくじけそうになったこともありました。そのたびにふつふつと湧き上がってくる活力で乗り越えてきました。
根性丸出しで頑張ったのはやはり学位取得のための研究でした。当時医学部生化学教室中尾教授に指導を仰ぐことになりました。最初にご挨拶に伺ったとき“君、出身はどこ?”“日大薬学です”、長い沈黙の後、中尾教授は“医学部出身でないものが、医学部教員としてのポジションをキープするには、並大抵の努力では追い付かない。鬼となって研究指導をするからそのつもりで”と言われたのは決して冗談ではありませんでした。学位を取るため数年間、平日は終電、土、日は勿論大学で実験と、それはとても大変なことでした。30歳代は灰色の人生でしたが、私の人生において最も努力した時期でもあります。学位授与式の時30人ほどいましたが、女性は私一人でした。それほど、女性が学位を取得するのはとても少ない時代でした。
学位取得後は研究をする意欲が増し、がむしゃらに研究をしました。無我夢中になれるものを見つけられたということは私にとって本当にハッピーなことでした。段々年とともに研究だけでなく、教育にさく時間も多くなってきました。
研究の中心は電気泳動技法を用いた種々化学成分の分析でしたので、効率よく研究をこなすため、電気泳動は金曜日に行い、染色したゲルを自宅に持ち帰り、土、日は自宅の風呂場で脱色をして、月曜日にはデータ解析という計画で行いました。ゲルを運ぶために緑色の日産ブルーバードU1600を購入したのも楽しい思い出の1つです。
私が50年の長きにわたって仕事ができたのは、学内の検査部では楽しい仲間と仕事ができ、保健衛生学科ではよい弟子と研究ができ、又学外では色々支援してくださる先生方に恵まれたためだと痛感しています。
退職後4年を経た今、現役時代を振り返えってみると道が一本につながっていました。50年もの長い間ですから、何度も岐路に立たされどんなに思い悩んだことでしょう。そのときはいつも台所のレンジを磨きながらあれこれ考えを巡らせ、ピカピカに磨きあがった時点で終了。以後はその決心を翻さないことをモットーにしておりました。