2017年10月号(第63巻10号)

雪の思い出と瞬間の永遠性

自治医科大学臨床検査医学
山田 俊幸

職場のリニューアルで研究室の異動を繰り返し、ようやく落ち着いた部屋は東向きとなった。窓の外に目をやると茨城の平野部にそびえる山々が間隔を置いて見える。誰もが知っている筑波山は実は机から離れて南を向かないと見えない。座ったまま見えるのがその北にある加波山という山だ。その山容が新潟の実家あたりから見える弥彦山によく似ている。弥彦山は、参拝やレジャーで有名で、最近は標高が東京スカイツリーと同じ634mであることも宣伝しているらしい。高い山ではないが、登ると結構骨が折れる。ちなみに、より新潟市近くにそびえる角田山は波打ち際から登山道があり、おおげさだが海抜0メートルからの登山となる。この辺りは海沿いなので雪はもともと少ないが、私が小学校低学年の時には弥彦山にロープトゥー一基だけのスキー場があった。昔は平野部でもそれなりに雪が積もり、多い時は家の玄関まで雪の階段を作ったほどだった。それが、高校生くらいになると雪に悩まされることが明らかに少なくなった。今はさらに降雪は少ないようで温暖化のスピードは意外に速いのかもしれない。
ところで私は高校3年生の受験時期までに、東京に出かけたのは2回の修学旅行だけで、当然雪のない季節だった。大学受験のため、2月の最も積雪の多い時期に特急「とき」に乗って上野に向かった時のこと。越後湯沢を出て清水トンネルに入るまではボタ雪が降っており、空も灰白色だった。それがトンネルを抜けたら、地面には雪があるものの、日差しが眩しく、空は抜けるように青かった。このあまりの違いは強烈な印象で、当時の他の多くのことを忘れても、その印象とその時に進路について悩んでいたことなどを明確に思い出すことができる。
話は飛躍するが、学会や講演会で、素晴らしい話に心を動かされても、日常に戻るとその具体的内容を忘れてしまうことが多くなった。失礼ながら他にもそういう人は少なくないのではないか、講演など聞いても無駄ではないかなどと思うことがある。しかしそんなことはない、天候のあまりの違いに驚き、その印象を忘れないことと同じように、受けた感銘はいつまでも残り、生きていく上で必ず意味をなす、ということを最近読んだ柳田邦男氏の小文で知った。氏はそれを「瞬間の永遠性」と呼び、忘却や喪失からの救いとしている。