2015年11月号(第61巻11号)

インフルエンザ菌(Hi)感染症とともに50年 -Hibワクチン導入に向けて-

千葉大学 名誉教授
埼玉医科大学 小児科
上原 すゞ子

2007年1月26日、恩師Dr.Robbins(NIH)らの発案したインフルエンザ菌b型(Hib)ワクチン(PRP-T)わが国への導入の報が入り、私の謝辞に対して彼から祝辞が寄せられたので、祝賀会での報告に、1987年私が彼の許に在外研究員として滞在中のDrs Robbins,Pittman, Schneersonと私を含む一葉の写真を上映して頂きました。
想えば私とインフルエンザ菌(Hi)との出逢いは1964年8月、小酒井教授の許で細菌検査法を学び千葉大学小児科で洗浄喀痰培養に応用してHiの純培養状の集落に魅せられて、原因菌診断基準に着手したのでした。1968年国際小児科学会でのHi感染症講演への途上、第一人者Dr.Sellの薫陶を仰ぎました。1972年文部省の依頼で大学検査技師にHi検出法供覧を行いました。
千葉大小児科での気管支・肺感染症原因菌検査成績(1965-79-84)でHi、肺炎球菌は1,2位、千葉市立海浜病院で黒崎ら、武田らの検査(1990-2006)でも同じ傾向でした。小児髄膜炎でもHiは第1位、Hibが97%、洗浄喀痰由来Hi原因菌の5-7%がHibでした。私はHi全身(侵襲性)感染症の全国調査(1979-88)、千葉県小児入院全施設調査(1985-94)で罹患率の推移を報告してきました。1992年CDCでHi研究班主任Dr.Wengerは、わが国でHibワクチン未導入を知るや「信じられない」と大激論になりました。1993年私は先ず学会にDr.Robbinsの招請講演を願い出ましたが、時期尚早と受け容れられず、あの無念さは筆舌に尽くせません。当時欧米ではHibワクチンで髄膜炎は激減しつつあったのですが。私はHibにまつわる啓発に努め、小児科学会東京都地方会出題が特別講演に採択された「欧米におけるHi感染症の激減とHibワクチン」は日児誌100巻(1996)の説苑に掲載されHibワクチンが題名にある最初の論文になりました。最大の全国調査は1995年Hi髄膜炎疫学調査研究会(神谷代表)で実施した小児入院全施設の細菌性髄膜炎調査で私が企画執筆を託されました。その後現在まで石和田らに引き継がれ、公費助成を経て定期接種になった2013年にHib髄膜炎など侵襲性感染症は0に近づきました。
Hibワクチン接種の遅れた20余年、私はHib髄膜炎診断・予後の重大性、Hibワクチンの有効性・安全性、集団免疫に向けて高い接種率維持、そのためにHib侵襲感染症の全例報告、Hibかnon-Hibか、検体・菌株保存、血清型確認を叫んできました。
2014年9月21日、SANOFI・第一三共・ジャパンワクチン共催の「Hibワクチン5年間の軌跡」で「はじめに-Hibワクチン導入の経緯」を指名された私は万感胸に迫り感泣しました。千葉大学退官後19年、開かれた討議の場が望まれます。