2014年5月号(第60巻5号)

ゆとり教育はなぜ失敗したのか

信州大学医学部病態解析診断学 教授
本田 孝行

ゆとり教育は、知識詰め込み型教育を打破するために試みられたが、失敗してしまった。ゆとりの中で、誰が何をどのように教えるかが明確にされなかったことが最大の問題であろう。
ゆとり教育は、1. 論理的思考に基づき、2. 課題認識ができ、3. その解決法を立案し、4. 実行できる
人材の育成を目指したと思うが、現在の教室型教育では不可能である。ゆとりさえ持たせれば、小・中・高等学校で問題解決型の思考能力の育成ができると考えたのであれば、机上の空論に過ぎなかった。大学においてさえも、多くの学科長たちが“学科の専門分野に特有の知識、技能および技術の習得”を第一の教育目標に掲げるように、社会が望んでいる教育は行われていない。
いずれは陳腐化する専門知識を教えるだけでも時間が足らないのに、何を教育すればよいのだろうか。“論理的な思考能力”に尽きるように思う。知識として覚えるだけでなく、なぜそうなるかを根本から理解する姿勢を教育できれば、教育目的は達成されたと考えてよいと思われる。理解の過程で生じた違和感が課題認識であり、正確な課題認識ができればポイントを絞った解決法も立案できる。後は実行する気があるかだけである。論理的思考方法は、知識が変革しても陳腐化することはない。
私は合気道を学生に教えている。無数の技があるが、体に覚えさせろという運動部特有の教育法が行われている。それに逆らって、技の成り立ちを根本から理解しようすると、全く違う技でも共通点のあることに気づく。共通点を整理すると、ひとつ上の定義のような法則に出会う。そして最後にたどり着いたのが姿勢である。最近、個々の技を細かく教えるのではなく、姿勢を主体に教えるので、どの技をやっても同じことしかいわない。正しい姿勢で技を行えば、自然に手の動きや足の運びが矯正されるのには驚かされる。正確な理論さえ教えられれば、学生は自分で知識を吸収し修正することができるのである。教育の極意だとひとり悦に入っている。