2014年3月号(第60巻3号)

日本人であることに誇りをもとう

ベイラー医科大学 臨床病理学教授(終身)
小児科内科兼任教授(終身)
照屋 純

最初にボストンに留学したのは1989年。アメリカ生活に馴染むために、生活のすべてをアメリカ式に変えて、良い習慣も悪い習慣も真似しようとした。例えば、アメリカ人はわずかに身体が触れただけで、ソーリーと言って謝る。それは良いことであろう。日本ではあまり経験しないことである。しかし、いざ自分に責任、特に金銭的な責任が及ぶようなこと、例えば車をぶつけた時などでは、明らかに自分が悪くてもまず謝らない。飛行機に乗って荷物が目的地に着かなくても、目的地の空港係員は、自分のせいでは無いということで決して謝らない。自分が会社の一員で、会社のために謝るという教育を受けていないらしい。
日本人は一般的に清潔好きである。ウォッシュレットがついているトイレットの普及はすごいものである。ヒューストンの私のうちでも使っているが、アメリカではその普及率はごくわずかである。日本では、家の中には玄関で靴を脱いであがるのが当たり前である。外の綺麗ではない所を歩いた靴でうちの中も歩く、と言うのは清潔とは言えないだろう。アメリカ人で家の中で靴を脱ぐのは、少数派である。ただ生足のままであがったり、病院などでスリッパに履きかえるのがより清潔なのか、と言う議論はあるかも知れない。レストランに行くと、日本ではまずおしぼりが出る。それで手を拭くことでどれだけ綺麗になるのかは疑問であるが、少なくとも汚れはある程度落ちるし、清潔そうなおしぼりであれば何よりも気持ちがいい。おしぼりが出るレストランは日本以外では稀なので、私はどこでも殺菌効果のあるハンドサニタイザーを持ち歩いて、食べる前に手指の消毒をしている。私の行っているスポーツクラブのロッカーでは、使ったタオルが床に散乱している。日本ではそのような光景を見ることは稀である。小学校から高校まで、自分たちの手で教室を掃除をするという習慣があるせいなのかも知れない。
外国に住んでいると、日本という国がよく見えてくる。そして改めて日本という国に生まれて良かったと思う。私の血は日本人であり、そして日本人であることを誇りに出来ると言うことは素晴らしいことである。しかし、私は15年前に仕事と生活の場をアメリカに移す決断をした。その決断は正しかったと思う。何故ならば、日本の病院では、私がこちらで患者診療に貢献しているのと同じような場を求めることはできないからである。臨床病理に関して言えば、日本ではむしろ退化していっているのではないだろうか、と心配している。