2012年12月号(第58巻12号)

技術革新の波を体験して

一般社団法人 HECTEF 専務理事
中 甫

臨床検査に携わって半世紀以上になるが、その間に多くの技術革新の波を体験した。全自動分析装置の出現はその代表格であるが、その陰に隠れた多くの革新技術が存在する。そこで筆者が実際に体験したいくつかの出来事を振り返ってみたい。慶應義塾大学病院の裏手に北里記念医学図書館(現信濃町メディアセンター)がある。1950年代後半には書架のある閲覧コーナーに英文タイプライターが何台も置かれていた。研究者たちが文献の要約をタイプするためである。当時も文献のコピーを入手できたが、全て写真撮影で印画紙に焼き付けるため、日数を要しまた高価であった。必然的に英文タイプを勉強し文献の要約をカードに打ち込み文献収集を行った記憶がある。しかし、1960年代初頭には全自動コピー機が出現し、覚えた英文タイプの必要が無くなった。
その頃欧米においてワープロの概念が生まれ、1970年には対話式文章修正機能付きワープロ専用機が出現し、1989年にはワープロ専用機のピークを迎えることになり筆者も大いに利用したが、1990年代に入ると衰退の一途をたどることになった。
また、1960年代の臨床検査とくに生化学検査は光電光度計を用いる用手法が主流であったが、吸光度から成分濃度を求める計算処理が必要であった。そこでこれらの計算を行うために技術者たちは円盤型計算尺を白衣のポケットに入れて常に持ち歩いていた。1963年には数字部分にネオン管を用いた卓上計算機が初めて登場したが、1台50万円もする高級機器であった。1971年には携帯型液晶電卓が出現し広く普及したため1980年には計算尺の生産が中止されるに至っている。
筆者がPC を使い始めたのは1994年であり、Windows 95の前のMS-DOS Version 6 であった。Windowsの出現は画期的なことであり、1995年のWindows 95の出現がワープロ専用機の市場からの撤退の原因になったと言われている。以上、とても書き尽くせないが、筆者が実際に体験した技術革新のいくつかを思いだし、記録にとどめておきたいと願った次第である。