2012年8月号(第58巻8号)

私の初めてのヨーロッパ旅物語

財団法人 日本公衆衛生協会 名誉会長
北川 定謙

1. これは、世の一般の常識に相違して感心した話 昭和39年のイースターの休暇を利用して、パリからローマを旅したときのこと。
パリの交通公社でローマ行きの寝台券を求めようと窓口に行ったら、もう満席で1枚も空きはない、「多分車掌が管理している分があるので、乗り込んでしまってから頼みなさい」とアドバイス。それで18:00リヨン発のロンバルジャ・エキスプレスに乗り込み、交通公社窓口氏のアドバイスに従って、車掌に懇願したところ、アドバイスどおり天井席を見つけて来てくれた。感謝のつもりでフラン紙幣を服のポケットに入れようとしたところ、頑強に“NO”そしてニコニコしながら席に案内してくれたことを今でも思いだします。

2. これは、WHOのプログラムでユーゴのザグレブからウイーンに旅をしたときの話
昭和39年秋、丁度、東京オリンピックで国際交通がさかんになっていたときのこと。
ある夜、ウイーンのオペラを鑑賞してオペラ座から出てきたところ、突然「日本の方ですか」と声をかけられたのである。話を聞けば団体旅行でヨーロッパを回っていたのであるが、ウイーンの空港でエージェントとはぐれてしまった日本人二人連れが、オペラ座の屋根の下で野宿を覚悟していたところ、たまたま日本人らしい私が通りかかったので声をかけられたというわけである。ホテルを何とかしてほしいとのご要望。当方としても旅行者の身であり、土地勘も無いので思案に余ったのであるが、ともかく私のホテルに行ってみようとタクシーを拾ったところ、ホテルでは「今日は国際見本市とかで満室で空室は無い」との冷たい返事。たまたま昼間知り合ったアメリカの歯医者さんが大きなお部屋をとっていたのを思い出し、ままよとお願いしたところ大変親切な方で、私のシングル部屋と交換することに同意をしてくれた。これで野宿を覚悟していた二人は大喜び、お土産に持っていた浴衣(ユカタ)と下駄(勿論何れも新品)を献上した次第である。これには、歯医者さんも大喜び。すべて円満に解決。私も日本に帰ってから何度かお二人さんからご馳走をしていただいた。
「情けは人のためならず」を思い返しています。