2011年7月号(第57巻7号)

東京湾岸で経験した東日本大震災

東海大学医学部 基盤診療学系臨床検査学 教授
宮地 勇人

東日本大地震の日、小生は東京湾岸の晴海にいた。学術セミナーの講師役として会場に向かっていた。地下鉄の最寄り駅を出て、晴海通りを歩いていた14時50分頃である。立っているのが困難な強い揺れに襲われた。壁に掴まり怯えた表情の人、建物落下物を心配し上空を見つめる集団。橋はコンニャクのように繰り返し捻れ、崩壊するかに思えた。揺れが弱まった瞬間をついて、恐る恐る橋を渡り、対岸の晴海トリトンスクエア広場に着いた。トリトンスクエアは、連結する3つの近代的ビルから名付けられている。見上げると、40階の高層ビルが大きく揺れ、ビル同士が近づいたり離れたり。ビルの最上階近くをつなぐ連結(通路?)は、揺れに合わせて伸縮! 注射器の内筒と外筒のように2つの構造体の入れ籠(いれこ)が出たり入ったりしていた。後日調べたところ、この連結は、電動モータにて伸縮してビルの揺れを積極的に低減する制動ブリッジで、大地震の際には制動が解除されてビルの揺れに応じて大きく伸縮するとのこと。
ビルの非常用階段を昇り、15時過ぎ、何とかセミナー会場に到着した。ビルは免震構造のため、船上のようなゆっくりとした揺れが続いた。窓から見ると、東京港の向かいのお台場をはじめ周囲4カ所で黒い煙が立ち上がっていた。消防車がけたたましく何台も通った。鉄道は運行休止中であった。運行再開までの待機場所は免震ビル内が最も安全とのことであった。待機時間を利用して、セミナーを開始した。安全ヘルメットを備えての講師は初めてであった。余震が続く中、防災アナウンスを折々聴きながら、何とかセミナーを終えた。恐怖の中、帰宅難民となり、翌朝の始発電車で帰宅できた。
晴海をはじめ東京湾岸の埋め立て地は、地盤がきわめて弱い。東京ディズニーランドがある浦安埋め立て地では液状化現象で建物被害が出た。都心の古い建物では壁が崩落し犠牲者が出た。晴海付近の推定震度は大正12年の関東大震災のときと同じ5強前後とのこと。幸いにも晴海の高層ビルは安全であった。免震の高層ビルという高い建築技術レベルと普及に有り難さを感じた。地震に強い湾岸の都市開発技術には、被災地の復興、復旧に生かせる点が多いと思う。あらゆる手だてを尽くして、被災者が安全、安心な生活を送れる日々が早く来ることを心から願っている。