2011年7月号(第57巻7号)

虫林花山の蝶たち

ハイマツ仙人 タカネヒカゲ The Asamana Arctic

故・田淵行男は、山岳写真家、高山蝶の研究者として知られています。彼は1905年に鳥取県で生まれ、東京高等師範学校(現・筑波大学)卒業後、教職の傍ら北アルプスやその近隣の山々を登って蝶の観察を続け、日本の高山蝶の生活史の解明に大きな足跡を残しました。とくに常念岳の乗越(のっこし)には頻繁に通い、一の沢から常念岳へいたるコースは生涯206回も通ったということですから驚きです。
「次から次へと色とりどりの蝶に出迎えられ見送られて心も弾む常念一の沢朝の道装いを競い模様を凝らして蝶の飾る希望の夏山蝶の道」
-これは田淵行雄が著した「安曇野の蝶」という本の中に収められている一節ですが、彼はその一の沢ルートを「蝶の道」と呼んでいたようです。
その稀代のナチュラリストである田淵行男が愛した一の沢から常念乗越への蝶の道をある年の夏に辿ってみました。日頃あまり歩かない生活をしている僕にとっては、田淵が200回以上も通った道とはいえとても長く辛く感じました。でも、苦しい登りの末に稜線に飛び出すと、ハイマツが絨毯のように広がり、その向こうには槍ヶ岳などの北アルプスの名だたる山々が一望でき、高山特有の空気感と達成感に感動しました。しばらく休んだ後に、また歩き出すと、突然足元から褐色の蝶が飛び立って少し先の地面に静止しました。あわてて近寄ってその蝶を見ると高山蝶タカネヒカゲでした。タカネヒカゲは地味な褐色で、地面に静止すると保護色となり飛び立たなければこの蝶がどこにいるのか全くわかりません。また、風が吹くと地面に横倒しになってしまうのでなおさら発見することが難しくなります。前述の田淵がこの蝶を「ハイマツ仙人」と呼称した意味が良くわかります。多分、蝶に興味が無い人が見れば、蛾にしか見えないと思いますが、高山蝶をよく知る人にとっては、タカネヒカゲはこの上なく美しく目に映ります(痘痕も笑窪みたいなものですかね)。
苦労の末にやっと目的の高山蝶に出会えたのですから、北アルプスの山々を背景にタカネヒカゲを撮影したいと思いました。写真の背景に山を入れるには、通常のレンズでは困難で、広角レンズを使用しなければなりません。ところが、広角レンズで蝶をある程度の大きさに写すには、レンズの先端と蝶との間は10cm以下まで近接しなければならないのです。そこで、タカネヒカゲが飛び出すたびに走り寄り、静止した場所にカメラを近づけてみますが、意外に敏感ですぐに飛び立ってしまいます。どのくらいの時間が流れたか定かでありませんが、やっと槍ヶ岳連山を背景にいれた「ハイマツ仙人」の写真が撮影できたときには感激しました。
本州には高山蝶といえる蝶は9種類あります。しかし、卵から成虫までの全てを標高2500m以上の高い山で過ごす「真の高山蝶」はタカネヒカゲのみです。そんな過酷な気象条件の中で健気に暮らすタカネヒカゲは、まさしく「地史の落とし子」と呼ぶに相応しい蝶です。また、いつの日かナチュラリスト田淵行男を偲びながら、彼が愛した「蝶の道」を辿りたいものです。
虫林花山の散歩道:http://homepage2.nifty.com/tyu-rinkazan/
Nature Diary:http://tyurin.exblog.jp/

写真とエッセイ 加藤 良平

昭和27年9月25日生まれ

<所属>
山梨大学大学院医学工学総合研究部
山梨大学医学部人体病理学講座・教授

<専門>
内分泌疾患とくに甲状腺疾患の病理、病理診断学、分子病理学

<職歴>
昭和53年…岩手医科大学医学部卒業
昭和63-64年…英国ウェールズ大学病理学教室に留学
平成2年… 山梨医科大学助教授(病理学講座第2教室)
平成8年… 英国ケンブリッジ大学病理学教室に留学
平成12年…山梨医科大学医学部教授(病理学講座第2教室)
平成15年…山梨大学大学院医学工学総合研究部教授

<昆虫写真>
幼い頃から昆虫採集に熱を上げていた。中学から大学まではとくにカミキリムシに興味を持ち、その形態の多様性と美しい色彩に魅せられていた。その後、デジタルカメラの普及とともに、昆虫写真に傾倒し現在に至っている。撮影対象はチョウを中心に昆虫全般にわたり、地元のみならず、学会で訪れる国内、国外の土地々々で撮影を楽しんでいる。