2011年4月号(第57巻4号)

なぜ人は“ぶれる”のか

信州大学医学部 病態解析診断学 教授 本田 孝行

“ぶれる”というのは、“場合により言うことが異なる”と解釈できる。なぜ人は“ぶれる”のか。答えは簡単で、複数の判断基準を持つからである。基準が1つであれば、迷わないので大きくぶれない。小泉元首相に“ぶれ”が少なかったのは、すべてを郵政民営化という基準に照らして判断したためと思われる。最も重要な判断基準を決めて、常にその基準に従えば、違った結論を出すことは少ない。人は、日差再現性のよい思考回路を持った動物である。
究極の“ぶれ”は、“朝令暮改”と言ってもよい。朝夕では条件が異なるので見解が違うのは当たり前と考え、ぶれるという意識さえなくなってしまう。その人の判断基準以外何も変わらないので、他人には理解できない。信念のない(プライドのない)人で、口先だけでどうにでもなると考えている。書面以外での契約が成り立たない。
究極の“ぶれない”は赤ん坊である。“心地よい”という本能で判断する。子どもの頃は、正義感や倫理観で判断できるので“ぶれ”が少ない。人は年を増し人間関係が複雑になるに従い、判断基準が増え、ぶれ幅が広くなる。
多くの“ぶれ”は、前にどの基準で判断したかを忘れることに起因する。その場的な基準で判断するために、同じ結論が導き出せない。ぶれないためには、自分の判断基準に優先順位をつけておけばよい。第1の基準で難しければ、第2、第3の基準を加えて判断するが、基準が増すに伴いぶれる可能性が高くなる。
国会議員がぶれないためには、正義感や倫理観はさておき、最初に国益という基準で判断しなければならない。選挙、地元利益もしくは党益で判断する限り、“ぶれ”は防げない。臨床検査部において、患者のため、病院のため、検査部のため、検査部職員のため、検査部長のため、はたして、どれが最優先されるべき基準なのか。検査部長でないことだけは明白である。