2011年4月号(第57巻4号)

虫林花山の蝶たち

バッコヤナギとヒメギフチョウ The Small Luehdorfia

ギフチョウ、ヒメギフチョウは年に1回、桜が咲く頃、しかも晴天無風の日にしか飛びません。そのため、天気予報を気にしながら、空を見上げてソワソワ、ワクワクして週末を待ち、やっと週末になると、車を飛ばして彼らが棲むフィールドに出掛けてしまいます。多くの蝶の愛好家にとっては、長い冬を越えて、春一番に現れるこの蝶こそシーズンの幕開けの象徴ともいえるものなのです。そんな春を象徴するイメージがあるので、この両種には「春の女神」などといういかにも素人受けするようなキャッチフレーズが付けられ新聞や雑誌に紹介されています。さらに、時々、「生きた化石」という別名でも呼ばれることもあります。これは本種の貴重さをアピールするために付けられたものでしょうが、明らかに誇大広告というものです。ギフチョウやヒメギフチョウはアゲハ科の中では、比較的古い部類に属しますが、最近のDNA解析を基にしたアゲハチョウの進化についての研究では、ギフチョウ、ヒメギフチョウが近縁の種類から分かれたのはおよそ1000万年前で、何億年も前にその起源をもつ他の昆虫たちに比べるとけっして古いとはいえません。しっかりとした生物学的知見の裏づけの無く、ただ心情的、感傷的な保護キャンペーンはむなしいといわざるをえませんね。
ギフチョウとヒメギフチョウのギフという名前は、本種が明治16年に岐阜県で初めて発見されたことによります。アゲハチョウ科の仲間では小型の蝶で、その姿かたちは良く似ていますが、ヒメギフチョウはギフチョウよりもより小型で(ヒメという言葉は一般的に小型という意味)、色もギフチョウに比べてややあっさりとした感じがします。絵に例えれば、ギフチョウが油絵で、ヒメギフチョウが日本画といったところでしょうか。
掲載した写真は、5月の連休明けの日曜日にヒメギフチョウに会いに南アルプス山中の林道を訪れた時のものです。その日は晴天無風で「ヒメギフチョウ日和」のはずなのに、気温が低すぎるためなのかなかなかその姿を見ることができませんでした。まあこんな日もあるさと、小川の傍の石に腰かけて早めの昼食を食べていると、1頭のヒメギフチョウが現れて、近くの大きなバッコヤナギで吸蜜を始めました。そうなると、昼食など食べていられません。早速、脚立の上に乗ってバッコヤナギの花で吸蜜するヒメギフチョウを撮影しました。その後もこのバッコヤナギの花には三々五々とヒメギフチョウが訪れて僕を喜ばせてくれました。ヒメギフチョウの吸蜜植物は、タチツボスミレなどのスミレ類が主ですが、その他サクラ、キブシ、ミツマタなどの花を訪れているのを見たことがあります。バッコヤナギでの吸蜜は想像もしていなかったのでとても意外でした。
ヒメギフチョウは山の中に棲息するので、里に生きるギフチョウよりも開発の影響を受けることが少ないために、ギフチョウに比べるとその姿を見ることはそれほど難しくありません。春の晴れた日に、スミレの花咲く林道をゆっくりと飛ぶヒメギフチョウの姿をいつまでも見たいものです。
虫林花山の散歩道:http://homepage2.nifty.com/tyu-rinkazan/
Nature Diary:http://tyurin.exblog.jp/

写真とエッセイ 加藤 良平

昭和27年9月25日生まれ

<所属>
山梨大学大学院医学工学総合研究部
山梨大学医学部人体病理学講座・教授

<専門>
内分泌疾患とくに甲状腺疾患の病理、病理診断学、分子病理学

<職歴>
昭和53年…岩手医科大学医学部卒業
昭和63-64年…英国ウェールズ大学病理学教室に留学
平成2年… 山梨医科大学助教授(病理学講座第2教室)
平成8年… 英国ケンブリッジ大学病理学教室に留学
平成12年…山梨医科大学医学部教授(病理学講座第2教室)
平成15年…山梨大学大学院医学工学総合研究部教授

<昆虫写真>
幼い頃から昆虫採集に熱を上げていた。中学から大学まではとくにカミキリムシに興味を持ち、その形態の多様性と美しい色彩に魅せられていた。その後、デジタルカメラの普及とともに、昆虫写真に傾倒し現在に至っている。撮影対象はチョウを中心に昆虫全般にわたり、地元のみならず、学会で訪れる国内、国外の土地々々で撮影を楽しんでいる。