2011年3月号(第57巻3号)

“good choice-better choice-best choice”

順天堂大学医学部 臨床検査医学 教授 三井田 孝

長い人生の中には、さまざまな場面で選択に迷う事がある。進学や就職、結婚、マイホーム購入などの重大な選択もあれば、洋服売り場で自分に似合うものを探すとか年賀状のデザインを決めるなどのささやかな選択もある。ある一流スポーツ選手は、レストランで注文する品を数秒以内に決めるよう心がけているそうだ。これは、試合の途中で瞬時に的確な判断をする訓練になるらしい。一方、囲碁のプロ棋士は、数百手も先を読んでから次の一手の決断をくだすという。しかし、日頃からこんな努力をしていても、一流スポーツ選手もプロ棋士も判断ミスで試合を落とすことがある。マリナーズのイチロー選手でさえ、打席に立った3分の2は凡打に終わる。つまり、直観ですぐに判断しても、じっくり考えて判断しても、悪い結果になってしまうことは避けられないのだ。良い結果が得られる確率をいくら高めても、100%になることは決してない。それどころか、人も羨む強運の持ち主であっても、たった一回の誤った選択で、人生最悪の出来事をまねくことだってある。それでは、後悔しない選択方法はないのだろうか。
私自身は、何かを選択する場合に、二つのことを心がけている。一つは、選択肢を二つに絞りbetter choice をすることである。多数の選択肢から、一つのbest choice を見つけることは難しい。best choice をしようとすれば、いたずらに時間だけが過ぎていく。万が一、現時点でbest choice があるとしても、それが明日も、あるいは一年後もbest choice である保障はない。状況が変わると、best choice は逆にbad choice になってしまうかもしれない。それでは、good choice ならどうだろう。私は欲張りやだから、選択に少し時間がかかっても、better choice をして少しでもよい方向へ進みたい。
もう一つ私が心がけていることは、最後の選択を自分自身ですることである。自分で選択した事は、誰の責任にもできない。同じ人間が過去の経験に基づいてbetter choice を続けていけば、回り道であっても必ず良い方向に軌道が向くはずだ。もし、逆境に苦しむことがあったら、それはよい兆候だと考えよう。なぜなら、悪い条件の時ほどbetter choice を自分自身で見つけることは容易だからである。