2011年1月号(第57巻1号)

老化現象

独立行政法人 医薬品医療機器総合機構 三瀬 勝利

人間を70年以上もやっていると、体の中でいろいろな所が損傷を受けたり、弱体化してくる。唯一、例外的に活動が盛んになっている場所が口舌である。理由は不明だが、こちらは年齢に比例して活動が急激に盛んになってきた。生きていたらの話だが、十年後には口舌の活動はどこまで活発になるか、想像すると自分でも怖ろしくなる。
外観上、私の体の中で損傷がもっとも激しいものが歯である。生きた神経を持つ歯は、ほとんど無くなってきた。しかし、目には見えないが、歯よりも損傷が激しいのが、体の最上部にある中枢器官のようだ。私は生来、記憶力や理解力に問題が多かったが、最近とみに物覚えが悪くなり、それに比例して物忘れが良くなってきた。特に人の名前が覚えられなくなったり、忘れたりする。男性の名前などはどうでも良いが、若い美人の名前が覚えられなくなったら、人間を廃業しなければならないだろう。幸か不幸か、近年は絶えて久しく若い美人にお目にかかっていないので、自分の絶望的な状況に遭遇しないですんでいる。もっとも、妙齢の美人に会っても、私の眼が悪くなっているため、認識できていない可能性も大であるが。
年をとり、あまり思い煩うことが少なくなったものには、死の恐怖がある。現実には一歩一歩、死に直進しているはずだが、逆の事態が起っている。若いときに感じた腹の底から突き上げてくる、「自分という存在が亡くなる恐怖」を意識することが稀になってきた。私はキリスト教や仏教が教えるところの、神や仏の存在が信ぜられない不埒な男である。しかし、この天地の間には、曰く言い難い絶対的な存在(もしくは法則)が存在すると思えるようになってきた。人間の形をした神や仏とは異なる「スピノザの神」というべきものだろうか、そうした存在を信ずることが、一つの心の平安をもたらしている。
死の恐怖が薄れたことは、自分が精神的、かつ哲学的に成長した証と思いたいのだが、単なる生命力の衰えの反映にすぎず、老化現象の最たるものかも知れない。