2010年12月号(第56巻12号)

隣人

ニューヨーク州立大・医学部 エメリィタス・ファカルティ 狩野 恭一

さわやかな秋の訪れである。今夏の猛暑をしのぎ、ほっとして追憶にひたる此頃である。白昼夢の中で博多の岸辺に立つと、海の彼方になつかしい異国の友人・知己の面影が目に浮かぶ。
1990年代の中頃、北京の国際輸血学会に畏友S教授と共に出席した。彼は当時独自に開発した抗体検出法を用いて、新たな抗原を発見し、彼の新法と共に内外に著名な人であった。その彼の面前である中国の演者は、S教授の新法を演者自身が開発したかのように発表した。あまりの事にカッとなった私は、立ち上がってきびしく抗議した。しかし演者は恬淡として「S教授の方法をマスターして実験を行なった」と答えるのみであった。
咄嗟に彼が「単なる追試とオリジナル」の区別がつかないか、or知らん振りしている事に気付き、呆れて口を閉ざした。
現在、在日中国人は65万人を超え、芥川賞の楊逸を始め藝術の各分野でトップレベルの仕事をしている。正に隔世の観があるが、昨今の彼我のトラブルから、中国は今后共に難しい対応を迫られる隣人であろう。
在米中70年代の終わりに日本語で免疫学の教科書を出版した。間もなくソウルのコウ[さんずい・黄]陽大医学部のPark教授から、丁重な韓国語版出版の御申出があった。教授は日本語に堪能な方で「基礎の本でこれ程臨床に気をつかって書かれたものはない」とほめて下さり、更に泣かせたのは「永年の外国暮しにもかゝわらず著者の日本語が明皙で素晴らしい」と持上げて下さった。帰国前にあれこれ思い悩んでいた私にとって、この云葉程私を励ましてくれたものはなかった。その数年后教授が他界されると弟様より「亡兄追悼のために毎年医学部二年生全員にこの本を贈りたい」との申出があり襟を正して快諾した。
こうしたやりとりを通して異国の隣人間の「真の礼節とは何か」を教えて頂いたと思う。諺に曰く「お金を出せばどんな豪邸でも買えるが隣人を買うことはできない」。