2010年11月号(第56巻11号)

ベトナム雑感

東京農工大学大学院 農学研究院 林谷 秀樹

JICAプロジェクトの専門家として、ベトナムに初めて関わるようになってからちょうど10年が経過した。この間、ほぼ毎年1~3回のペースで渡越し、ベトナム南部に位置するメコンデルタで、ベトナムの大学の先生や学生たちと一緒に研究を行う中で、ベトナム人たちの日常の生活に触れるとともに、近年のこの国の著しい経済発展の姿を目の当たりにしてきた。私が訪問する大学のあるカントー市では、この10年間で街は大きく様変わりし、川べりに広がっていた薄汚ない市場は近代的なビルへと変わり、今では市内には大きなスーパーマーケットやデパートがいくつもオープンし、市民たちでごった返している。また、ベトナムの風物詩であるバイクの洪水は今も昔と変わらないが、10年前にはよく移動に利用した“セロイ”と呼ばれるベトナムのオートバイ版人力車も、危険ということで禁止になり、今はタクシーにとって代わられている。私にとってベトナムでの印象深い思い出のひとつとして、エスカレーターがある。カントー市にも6年前に初めてデパートができたので開店早々の折、訪ねて行った。すると、エスカレーターの周りがすごい人だかりなのでいってみると、初めてエスカレーターに乗る人たち、特にご年配の人たちがエスカレーターの動きについていけず、次々に転倒してしまい、そのために起った人だかりであった。この光景をみて私は思わず苦笑してしまった。なぜなら私が幼少の頃、昭和40年代初めに家族に連れられて出掛けて行った近くの街にできたスーパーマーケットのエスカレーターの前で展開されていた光景そのものであったからである。あれから6年たった今ではこのような光景はもはや見ることもなくなってしまった。
私がみてきたこの10年間のベトナムの発展の姿は、私が物心がついてから経験してきたこの40数年間の日本の発展の姿をちょうど早送りの走馬灯のようにみているようである。彼らは日本のような先進国をお手本にし、まだ問題は山積みながらも良いところだけをうまく取り入れながら発展してきているように感じられる。経済の著しい発展は人々に自信を与え、大学で学生たちと接していても、努力さえすれば今よりもよい生活が得られると考えており、皆、将来への夢と希望にあふれている。一方、日本はどうかというと、戦後著しい経済発展を果たし、長らく世界経済をリードしてきたが、中国、インドなどの新興国の勃興ととともにその力の低下が著しく、加えて歴史上例を見ない高齢化社会を迎え、苦しみながら新しい社会像を模索している最中であり、社会全体が何とも言えない閉塞感に包まれている。このような社会状況の中で過ごす今の日本の学生たちにベトナムの学生と同じように夢や希望を持てというのは酷な話で、彼らに将来への明瞭な指針を与え、サクセスストーリーを提示してあげられないのは教職に身を置くものの一人として何とももどかしく、自分の非力さを恥じるばかりである。そういう意味で、暗いニュースが続く中、鈴木章氏と根岸英一氏の2名が今年度のノーベル化学賞を受賞したことは、日本に元気と希望を与えてくれる久々の明るい話題であり、心から拍手を送りたい。