2010年5月号(第56巻5号)

細胞診標本にみる高齢者の性生活

藤田保健衛生大学医学部 第一病理学 教授 堤 寛

病理業務で取り扱う細胞標本に、究極のプライバシーが現れてしまうことがある。
最近、73歳女性の子宮頸部擦過細胞診標本を覗いた。萎縮性(老人性)腟炎を背景に、精子がみられた。精子数はあまり多くない。前夜に交わされた、高齢者同士の性行為が想像された。萎縮性腟炎では腟内の乾燥があり、性行為を潤滑にする分泌液の量が激減している現実を乗り越えた、愛情いっぱいの標本だった。
子宮頚部粘膜表面から細胞をこすり取る細胞標本にはしばしば精子がみられ、前夜の性生活を如実に反映している。生きのいい精子だけでなく、だいぶ痛んだ姿を見かけることもある。おそらく、昨晩でなく、もう少し前の性行為を反映しているのだろう。
子宮頸部擦過細胞診による子宮頸癌検診は広く普及している。要精査率は1.1%、癌発見率は0.14%に過ぎない。大部分が正常なため、スクリーニング業務が単調に流れ、見逃し率が上がる可能性がある。そこである病院で、楽しく仕事をするために(と称して)、検診の細胞標本に精子の見つかる割合の統計をとった。対象者の多くは健康な主婦である。精子発見率が最も高かったのは40~50歳台。閉経前後の女性では、避妊目的のコンドーム使用が不要なため、前夜の性生活の実態を“正確に”反映している。60歳台女性にみられる精子も日常的だし、上に紹介した70歳台でも決して珍しくない。より若い年代は検診率、発見率ともに低い。検査前日は性行為を控えるか、コンドームが装着されているのだろう。
あるとき、子宮癌検診を受けた83歳の女性の細胞診検体に精子を発見した。年齢の間違いだろうと思い、担当医に尋ねた。「年齢? 正しいですよ。元気なおばあちゃんでした。」検診を訪れた人を覚えていたのだから、よほど印象的な若々しい人だったに違いない。前夜のお相手はご主人だったのだろうか。そこがわかる由も必要もないけれど、関係者みなでそっと拍手した。