2009年10月号(第55巻10号)

かまどの想い出

山形県健康福祉部次長(兼)衛生研究所長 阿彦 忠之

お盆に実家へ帰った時、私はいつも勝手口から入ります。玄関に鍵がかかっていても、勝手知る親族にとっては容易に家に入れるからですが、理由はもう一つ。そこに懐かしい竃(かまど)があるからです。

それはレンガ造りの竈で、ご飯を炊く羽釜と家畜の餌を煮るための大鍋を並列で使っていました。焚き付けには、近くの黒松林で集めた枯葉(マツバ)が重宝しました。小学生の頃は、羽釜の底にできた「おこげ」を食べたい一心で、朝のご飯炊きだけは手伝いました。すぐ隣の大鍋では、豚の餌を煮ていました。秋には「くず芋(サツマイモのくず)」を煮ていましたが、豚にやるのが勿体無いほどの美味しさでした。

黒松の砂防林では、きのこが沢山採れました。最も美味しいきのこ(フウセンタケの仲間)を、地元ではボクリョウ(木霊?)と呼んでいました。秋には授業の一環で、マツボックリ(小学校の石炭ストーブの焚き付け用)を集めながら、きのこ採りができたのですから、いい時代でした。

しかし、くず芋や残飯が豚の餌として使われなくなり、電気炊飯器や石油ストーブなどが普及し始めると、マツバやマツボックリが不要となり、林の掃除も疎かとなりました。これに木の神様が怒ってか?きのこはめっきり採れなくなり、砂防林も衰退しました。

子どもの頃に竈と聞けば、おいしい「おこげ」や「くず芋」の恩恵しか頭にありませんでした。しかし、今になって振り返ると農家の竈は、おいしいご飯を炊くだけでなく、出荷できない野菜を捨てずにうまく利用したり、松林などの環境とその恵みを守るという環境・循環型社会の構築に重要な役割を果たしていたのだと感心しております。最近はリサイクル運動が盛んですが、ペットボトルの回収後処理などの実態をみればわかるように、見せかけだけで、本当の意味での環境・循環型の取り組みは少ないです。もう昔には戻れませんが、今日も朝ご飯を食べながら、「竈の想い出」を環境教育や食育などの教材として使えないか・・・と考えたところです。