2009年5月号(第55巻5号)

おくられびと Joshua Lederberg(現代細菌遺伝学の開祖)を偲ぶ                                                                                                 

東京医科歯科大学名誉教授 中谷 林太郎

リーダーバーグ博士(1925-2008)の逝去を米国微生物学会のニュース誌Microbeの訃報欄で知った。まさに「巨星墜つ」である。その経歴と業績は彼が不世出の天才であったことを物語っている。
彼はイスラエルからの移民の子としてニューヨーク市で育った。1941年コロンビア大学大学院生として入学、動物学科のFrancis Ryan 准教授に師事(1942-44)、1944年には同大学医学部入学するもライアン研究室での研究生活を続けるため1946年に中退。同年3月にはRyan先生の薦めでその友人であるイェール大学のEd Tatum教授の研究室に出張、わずか6週間足らずの間に大腸菌を使っての実験で細菌における交配と遺伝子組換えを証明、これを接合(conjugation)と呼称。その知見を7月のCold Spring Harbor Symposiumでの微生物遺伝学大会で発表、参会の研究者を唖然とさせた。同年イェール大学からPh.D.の学位を授与(学位審査教授会では彼の発表内容を理解できた教授はひとりもいなかったと語り継がれている)。幸運に恵まれたことに、彼が試した20株の大腸菌のうち稔性を示したのは僅か1株だけだった。1947年にはウィスコンシン大学遺伝学教室教授に就任、Esther夫人、N.Zinder、L.Morseなどの学生とともに細菌遺伝学の基盤となった知見を次々と発見した:例えば、ファージ媒介性形質導入という遺伝子伝達法(tansduction)の確立、溶原ファージ・ラムダ(λ)の発見、等々。1958年、Beadle ならびにTatum両教授とともに33歳の若さでノーベル賞を授与された。1959年スタンフォード大学に招聘され、医学遺伝学部を創設、生物学・コンピュータ・サイエンス教授として活動。米国政府、WHOその他の機関の顧問を歴任。1979年に故郷のニューヨークに戻り、ロックフェラー大学学長として1990年まで勤めた。
晩年に「人生の目標は?」と聴かれたとき、「私は稀に見る天賦の才能に恵まれた人間ですが、この才能を世界の人々の安寧を図るために発揮する使命が与えられていると信じている。」と答えたと云う。リーダーバーグ博士は稀に見る才智、師弟、研究環境と偶然に恵まれて、栄光に満ちた生涯を閉じた。