2009年5月号(第55巻5号)

墨画にのめりこんで

桐の花

桐の花は前から一度描いて見たいと思っていた。句集を開くと次の句が目に付いた。
   駆ければ鳴りし母校の二階桐の花  花田春兆
木造の小学校で、廊下は静かに歩くものだよと常々教えられていても、つい何かの弾みで駆けることがある。すると床の板が鳴るのだろう。そこは2階、桐の花が咲いているのがちょうどこの高さでよく見えるのだ。桐の木は高さが約10m、そして高いところに花が咲くので、地上からは見上げないとよく見えない。
前に多摩川の堤を歩いていて桐の花に出会ったが、やはり遙か高いところで咲いているので絵には描けなかった。井の頭線高井戸駅のプラットホームは地上高いところにあり、駅のすぐ傍にある家の桐に花が咲き、眼の高さに見えるのでスケッチに出かけたことがある。
この絵の桐は、家内がたまたま近所を散歩していて、古い寺の塀すれすれに、割合低いところでよく咲いているのを見つけて教えてくれた。早速翌日出かけた。寺の境内の1本の桐であり、もう既に花が地面に落ち始めていたが、上を見上げると見事な花盛りで心が躍った。地面に落ちている花を拾うと、ちょうど柔らかい和紙を触れる感じで、ちょっと触ると容易に凹み、ふわふわの感じである。もっと硬い花弁からできているのかと思っていたが、そうではなかった。
昔日本では、家の庭に桐の木を植え、娘が育って嫁に行くときには、それを切って箪笥を作って持っていかせたという話をきいた。そのほか桐の材は、琴、小箱、下駄など、軽くてしかも緻密なところが賞用されてきた。枕草子や源氏物語にもその名が見え、また家紋によく用いられてきた由緒ある木花である。

絵とエッセイ 藤本 吉秀

大正15年(昭和元年)生まれ。昭和の年号がそのまま年齢になった。

<職歴:内分泌外科医>
もと東京女子医大内分泌外科教授。1987~1989の2年間国際内分泌外科学会会長を務めた。
今は癌研有明病院、日本赤十字社医療センター、調布東山病院で甲状腺診療をしている。

<絵の略歴>
昭和59年、八丈島から贈られた黄色のシンピジウムがとても美しいので色紙に描いてから、季節の草花を色紙に描くのが趣味となった。平成10年、柏市で甲状腺外科検討会がひらかれた時、会場の近くの画廊で色紙の個展をした。
その後、松下黄沙(Group 82)について墨絵三昧。
2人展(平成14年)、12人展(平成16年)をはじめ、春、初夏、秋にそれぞれ各種グループ展に出展。

<運動>
ずっと以前のことになるが、学生時代、一高、東大を通してボートを漕ぎ、昭和24、25年8人で漕ぐエイトで連続全日本選手権制覇。

はじめの1年間は、「色紙に季節の草花を描く」をテーマにして出します。
次の1年間は、「墨画にのめりこんで」として、風景、植物、仏像など何でも取り上げて描きます。