2009年1月号(第55巻1号)

みちしるべ

慶應義塾大学名誉教授 佐々木 正五

気が付いたら90歳を越えていたので、思い出すことも皆遠い昔のことばかりである。私がまだ幼い頃の正月、ふと目がさめると台所のほうで朝食を作っている様子だが、いつもと違う音がする。聞き耳を立てると、唄声も聞こえる。
“七草なずな、唐土(とうど)の鳥が、日本の国に、わたらぬうちに――――”という唄が素朴な節回しで歌われている。
台所では俎板の上の菜っ葉を包丁で叩き、調子をとりつつ七草かゆを作っているようだ。危やふやな、私の記憶を辿れば、中国大陸にもそのような風習があって、1月7日(或いは6日夜)に七草かゆを食べる。わが国でも将軍が食べたといわれる。然しながら、七草の種類は地方によって色々で、なずなだけのところ、せりとたらのきのところ、或いは人参、ごぼう、大根の入る所もあるらしい。
それはそれで良いが、大陸から鳥が悪疫瘴癘を日本の国に運んで来るので、それが来ないうちに十分に栄養を取って、体力をつけておこうという思想があったようだが、何か根拠があったのであろうか?
近年インフルエンザ等の流行に鳥の介在が予測されているが、遠い昔にこれと似た推測が一般化されていたのであろうか?単に想像であるならば、古くは老子(BC510年)の書物に面白い記載がある。“むかし北の海から一羽の大きな鳥が天高く舞い上がり、下を見ると地球が青く見えた”とある。これも宇宙飛行士が実証するまでは単なる想像であったが、何か証拠があったのだろうか?
近頃はEBMが流行っている。勿論Evidence Based Medicineのことで、結構なことだが、このEがECONOMYに傾いてい過ぎはしないか。一体証拠とは何をもって証拠とするのか?例えば薬が効いたと言うのは、病が根治したことか、死期が延長したことか、自覚症状が軽快したことか、或いは危篤と聞いて、田舎から駆けつけてきた人が死に目に間に合った薬のことなのか。
世相の乱れを感ずるまま、迷いの人生を手探りで歩いてきたら、丁度一本の“道しるべ”があった。覗いてみると
卒壽超え 右 痴呆道 左 墓道