2009年1月号(第55巻1号)

墨画にのめりこんで

大宮八幡宮の神木「大公孫樹」

自分が絵に興味を持つと、絵の仲間ができる。毎年秋に、昔の旧制高校の絵の愛好者がそれぞれ絵を持ち寄って、銀座で展覧会をやっているのに数年前から仲間入りさせてもらった。この絵は、平成18年のその展覧会に出したもので、私が住んでいる杉並区に古くからある大宮八幡宮の神木の大公孫樹を描いたものである。
かつてアメリカに留学したとき、アメリカの歴史は浅いが、古い歴史的建造物を大事に保存しているのに感心した。また大きい木の保存もそうである。留学したニューイングランドにはエルム(楡)があり、西海岸サンフランシスコの近くにはレッドウッドの大木の林があった。日本では、大きい木は神社や仏閣にしか見られなくなった。街中の公孫樹の並木は、東京でも神宮外苑や東大構内にあって秋の紅葉がいいが、手入れのし過ぎで枝が切られている。
その点大宮八幡宮の神木となると、根元の幹には注連縄がかけてあり、枝が四方に伸びるだけのばしたままにしてあり壮観である。門を入ってすぐのところに左右一対あり、めおといちょう(夫婦公孫樹)と呼ばれている。ほかにも公孫樹の大木が門の内外にあるが、神木に指定された2本の大木の枝ぶりはずば抜けてよい。
一般に大木の冬の姿は、晴れ渡った青空に幹と枝が見事な姿を現し、見ていてほれぼれする。よくスケッチに出かける神代植物公園でも、冬のユリの大木や欅、桜などの大木は、自然が創り出した造形美の最たるもので、何度も墨絵に描こうと挑戦した。
大宮八幡宮の紹介をすると、源頼義が後冷泉天皇の命を受け奥州平定に出かけて成功したとき、八幡大神の守護のお蔭と感謝し、1063年に京都の八幡神社より分霊をいただきこの神社を創建したという。井の頭線西永福駅で下車し、歩いて7分、厄除、開運、縁結び、安産、子育てのご利益がある。私の初詣の神社の筆頭である。

絵とエッセイ 藤本 吉秀

大正15年(昭和元年)生まれ。昭和の年号がそのまま年齢になった。

<職歴:内分泌外科医>
もと東京女子医大内分泌外科教授。1987~1989の2年間国際内分泌外科学会会長を務めた。
今は癌研有明病院、日本赤十字社医療センター、調布東山病院で甲状腺診療をしている。

<絵の略歴>
昭和59年、八丈島から贈られた黄色のシンピジウムがとても美しいので色紙に描いてから、季節の草花を色紙に描くのが趣味となった。平成10年、柏市で甲状腺外科検討会がひらかれた時、会場の近くの画廊で色紙の個展をした。
その後、松下黄沙(Group 82)について墨絵三昧。
2人展(平成14年)、12人展(平成16年)をはじめ、春、初夏、秋にそれぞれ各種グループ展に出展。

<運動>
ずっと以前のことになるが、学生時代、一高、東大を通してボートを漕ぎ、昭和24、25年8人で漕ぐエイトで連続全日本選手権制覇。

はじめの1年間は、「色紙に季節の草花を描く」をテーマにして出します。
次の1年間は、「墨画にのめりこんで」として、風景、植物、仏像など何でも取り上げて描きます。