2008年9月号(第54巻9号)

タキシードとトマト

国際臨床病理センター 所長 河合 忠

苦い思い出から50年目になろうとしている。1960年の春、筆者が28歳、初めて西洋式の大舞踏会に出席する機会が訪れ、白いタキシードを着用した。米国有数のリゾート地、フロリダ州マイアミビーチにあった、当時としては最高級のフォンテンブローホテルである。いうまでもなく、大学病院でレジデントとして修行中の身であり、緊急にレンタルでタキシードを調達して着用した。ところが、世界中から美女が集まった「ミス・ユニバース世界大会」の最後を飾る大舞踏会とあって、独身の筆者は極度に緊張していたためであろうか、野菜サラダの中のトマトを一口で食べずに噛み切った。途端に、トマトの汁がタキシードの襟に飛び散って、その後の晩餐会が台無しになってしまった――周囲の人は余り気に止めていなかったであろうが、少なくとも、本人にはそう感じた。
ミス・ユニバース世界大会が始まったのは1952年で、現在まで日本人が王冠を勝ち取ったのは1959年度の児島明子さん、2007年度の森理世さんの二人である。1960年度は、ミスUSAコンテストとミス・ユニバース・コンテストが同時に開催され、最大級のコンテストとなった。幸運にも、その大会でボランティア・ショファーを仰せつかった筆者は、コンテストの1週間、ミス日本とミス・カンザス州とボランティア・ホステスの日本人2世T夫人の3名を筆者の愛車(空色のフォード・サンダーバード)で、ホテルとコンテスト会場の間を送迎した。さらに、ミス日本が準決勝に残ったためマスコミの記者とのインタビューで通訳を仰せつかり、200人近い美女の犇めく舞台裏まで入ることができ、独身男性の筆者にとっては二度とない経験であった。前年度の優勝者である児島明子さんが王冠を引き渡すため出席しており、同じ円卓で彼女の隣に同席する幸運にも恵まれた。50年を経て、当時の1週間のさまざまな想い出を楽しむのも馬齢を重ね喜寿を迎えた故であろうか。