2008年8月号(第54巻8号)

科学の進歩と科学者の堕落

(独)医薬品医療機器総合機構 三瀬 勝利

私の郷里・愛媛県南部地方は、時々とんでもない人を輩出する。ガリ版刷りのラブレターを周辺の娘達に配った男が出たり、日本中の選挙に出馬し、連続落選2百回以上という大記録を打ち立てた男も出ている。また、自宅に妻妾を同居させていた代議士も、私の郷里が選挙区だった。週刊誌の記者が取材に来て『随分沢山の女と浮気をしたようですね』と尋ねると、『俺は浮気をしたことは一度もない。何時も本気だった』と答えた伝説がある。この答弁が顕彰されたわけではあるまいが、勲一等をつけた彼の銅像が郷里の公園に建てられ、周辺を見下ろしている。
郷里も今や過疎化の一途をたどり、帰省するたびに淋しい思いをする。しかし、幕末には日本最高レベルの医療が行われていた土地であった。理由の一つは、日本の科学の発展に多大の貢献をなしたオランダ人(実際はドイツ人)フォン・シーボルトの高弟・二宮敬作が、かの地で最新の医療を施していたためである。
周知の通り、江戸時代はキリシタン禁制で、我が国と交易していた西欧国家はオランダ1国であった。先進的な西欧の科学(蘭学)は、長崎のオランダ商館を窓口にして持ち込まれていた。しかし、厳重な鎖国政策により、多くの蘭学者が迫害を受けている。渡辺崋山は自死し、高野長英は撲殺された。蘭学を学ぶのは命がけだったのである。それにもかかわらず、彼らの多くは勇気を持ち、高潔な倫理を終生失わなかった。例えば、二宮敬作も投獄されるという悲惨な経験を持ちながら、幕府のお尋ね者・高野長英を匿い、暖かく処遇している。匿ったことが分かれば、家産没収どころか、処刑される危険性もあった。彼らの勇気と覚悟は並大抵ではない。
21世紀に入った今日、医学を含む科学は、当時とは比較にならぬほど進んでいる。一方では、科学をめぐるスキャンダルがメディアを賑わしている。論文のデッチアゲや、不正経理汚職など、科学者による不祥事が報ぜられない月はない。これらは極端なケースだろうが、科学者の品格は幕末のそれに比べて、著しく低下しているのではないか。少なくとも、彼らには我が故郷のとんでもない名士を嘲笑する資格はないだろう。倫理は科学技術とは異なり、時代と共に向上するものではないにしても、悲しむべき昨今の現状ではある。