2007年2月号(第53巻2号)

昭和33年

岩手医科大学医学部 臨床検査医学講座 教授 諏訪部 章

昭和33年12月、東京タワーが完成した。昨年、この東京タワーや昭和33年に関する映画や書物が一種のブームを巻き起こした。特に、山崎貴監督の「ALWAYS三丁目の夕日」は大変な話題作で、私も映画館で鑑賞した。昭和33年当時の東京下町の人情味あふれる風景がスクリーン一杯に溢れ、この時代に生まれ育った我々の郷愁を誘う。茶川竜之介と吉行淳之介との歩道上でのラストシーンでは思わず涙が溢れてしまう。泣いていたのは50~60歳前後の男性ばかりであった。私はくしくも昭和33年の生まれであり、この映画に刺激されて、リリー・フランキー著の「東京タワー:オカンとボクと、時々、オトン」(扶桑社)、布施克彦著の「昭和33年」(ちくま新書)など関連する書物を立て続けに読んだ。

こうしたブームの中で我々はついつい「あぁ、昔は良かった」と一向に回復しない日本経済や連日のように報道される猟奇的な殺人事件を憂えてしまう。「昭和33年」の中で布施克彦氏は、こうした日本人を「昔は良かった症候群」と診断する。「昔は良かった」と良い面ばかりを思い出すが、当時の社会情勢は決して明るくはなく、社会生活も不便で不潔であった。昭和33年は「なべ底景気」と呼ばれ、どの新聞の社説でも「日本経済の将来は暗い」と嘆かれている。しかしその後見事に日本経済は復興してゆく。当時は日本中にテレビ(もちろん白黒)が普及しつつあった。ある評論家は「日本人は将来総白痴化するだろう」と予測した。テレビばかり見ていて物を考えない人間が溢れる将来を憂えての言葉だ。しかし、テレビが全国隅々まで普及した現在、日本に白痴は増えていない。日本人には常に将来を憂える性格がありこれを彼は「未来心配性」と名づけている。彼の結論は実に明るい。日本の将来は大丈夫だと、とても勇気付けられる。

臨床検査が出来高払いで検査をすればするほど病院収益となった当時はたしかに検査室黄金時代だったかもしれない。それを「昔は良かった」と嘆くなかれ。現代は以前と比べてはるかに検査技術や精度が進み多様化し医療に貢献している。医療の包括化で「検査部の未来は暗い」と心配するなかれ。あなたの予測はきっと間違っている。検査室にはきっと明るい未来が訪れるに違いない。