2006年10月号(第52巻10号)

臨床検査はシャーマンが手にした強い武器

神戸大学医学系研究科 臨床病態・免疫学 教授 熊谷 俊一

古代においては、医学は巫女やシャーマン(祈祷師)による呪術的要素が強かった。これはシャーマンと患者の人間関係の上に成り立つ癒しの技術(医術)で、経験に裏打ちされた啓示がもたらす安心感により強い自然治癒力が誘導されることを期待したものでもある。その後、人は病気や死を観察し経験を積み重ね、それを体系化することにより、哲学の世界であった病を、医学や医療という科学へと進化させていった。20世紀に入り細菌学や血清学に加えて、生化学、生理学、ウイルス学、遺伝子工学や免疫学が飛躍的に発展した結果、医師は客観性と論理性の高い科学としての医学に基づいた診療を求めるようになってきた。新しい領域としての臨床検査医学が発展し、「臨床検査なくして現代医療はない」と言えるほど、検査が重要な位置を占めるようになってきた。一方で、医師も科学的技術の進歩に依存するあまり、一般の人々には本来の医学(医術)が見えにくくなり、「病を見て人を見ず」などとの批判が噴出している。

“病める人”としての観点が疎かになりがちとの批判を受けて、患者さんに優しい医療が求められている。曰く「患者さま」と呼びなさい、言葉遣いはより丁寧に、廊下では端を歩きなさい。清潔なトイレやおいしい食事など「患者さま」が気持ちよく医療を受けられることが、病院ランキングで上位に入るために最も重要なことである。私は、これが間違っているというつもりではなく、むしろ私も病気になればこのような病院に入院したいと思う。病院の語源であるhospitやhospiceは「もてなし」の意味であり、ナースnurseは子供を抱くごとく「世話をする」の意である。hospitもnurseも、病める人の不安を除き、心身ともに快適にすることにより、その人の自然治癒力を引き出すという、医療の原点でもある。

さて現代では、どのような医師もブラックジャックの実力が無い限り、シャーマンにはなりえない。たとえブラックジャックであったとしても、優れた道具がなければ良質の近代医療は行えない。良質の検査システムは医師に必要な情報を素早く与え、診断や治療法の決定をたやすくする。臨床検査により充分なデータを手にした医師の姿はまさにシャーマンであり、患者は不安を忘れ、安心して医療を受けることができ、最大限の自然治癒力がもたらされるのである。臨床検査は疾病を科学するための道具ではなく、「病を知って、人を治す」ための武器である。臨床検査データの後ろには、その結果で一喜一憂する“病める人”が存在することを一刻も忘れてはならないと改めて思う。