2006年7月号(第52巻7号)

医者と医学者

弘前大学医学部 臨床検査医学講座 保嶋 実

「諸君は単なる医者になってはいけない。その文字の間に学の入る医学者を目指して欲しい」、鼻を衝くホルマリン臭の古い階段教室で、医学部進学の際に当時の解剖学森富教授から送られた言葉である。医学を学ぶという高揚した気分になったことが、還暦を迎える今となっても鮮明に甦り、その言葉の本質と先見性について思いを巡らせることがある。

医学部新入生歓迎会のスピーチでは、私なりの解釈を交えて、分を弁えずこの言葉を新入生に紹介することにしている。ある年、同僚教授がスピーチの中で「敢えて、私は諸君には医学者でなく医者を目指して欲しい」と反論した。もちろん、その意図は巷間喧伝されている医者の風評に対して「プロ意識を持った、専門的技術者としての医者を目指して欲しい」と了解したが、同時に驚きとともに、危うさも感じた。

医学教育は、卒前教育の到達目標も明示され、コアカリキュラムの導入やチュートリアル、オスキー、クリニカルクラークシップなどの新しい教育方法の開発により、画期的な進歩を遂げた。そのこと自体は高く評価されるべきで異論を挟む余地はない。ただ、現今のいわゆる医者不足の声の後押しとともに、医学教育の全てを単なる医者促成の教育と見なす風潮があることも否めない。このような雰囲気の中で、ましてや医学教育を担う者の中に自らの使命を単なる医者養成であるという意識が芽生えているとしたら、まさに由々しき問題と言わざるを得ない。これは医学生の多様な可能性について道を閉ざすことになるだけでなく、将来の医学や医療の進歩を担う有為な人材を失うことにも繋がると考えるからである。

現在の医学教育改革の結末が地域医療の実践という名のもとに、今ある医者の偏在を助長するという図式に益々拍車をかける一因となるようではたまらない。数は少なくともほんの少し前までは、未知の生命科学への憧れを語り、臨床に根ざした研究への意欲を示した俊英もいたように思う。今はただ口を揃えて、即戦力として近在の地域医療に貢献すると述べるもののみであり、その使命感と健気さに感服はするが、いささかの寂しさも感じる。今ほど医学者の養成が、責務であると痛切に感じたことはなかった。もちろん、医療システムの点検と改革が前提となるが、このことは決して医療現場における人材供給に悪影響を与えるものでなく、むしろ解決の王道になると信じているからである。