2006年2月号(第52巻2号)

「常識と非常識」

鳥取大学名誉教授 猪川 嗣朗

最近になって中枢神経にも再生能力があることやイントロンに遺伝子翻訳上大きな働きがあることが明らかにされ、これまでの非常識が常識となりつつある。一昔前なら中枢神経に再生能力があるとかイントロンに翻訳上大きな働きがあるなどと言ったら医学的常識がないと進級もさせて貰えなかったであろう。常識とか非常識とはその時代に受け入れられ易い文化背景で決まるもので時代が変われば常識が非常識となることもある。よく勉強し、知識を豊富に蓄積した、いわゆるオーソリティは文献などでそれまでに得た知識・技術は過去の学問レベルで得られた結果であることを忘れ、その概念に縛られ現代もそれを常識として固執し反論的考えを軽視することに陥り易いのではあるまいか。過去の文化の評論家となってはいまいか。事が起こるのは確率の問題と幾つもの相反する複雑な反応系の総和として表現されたものであるのではなかろうか。生体で一見反応が起こっていないと思うのは幾つもの反応系の相反する制御のバランスが丁度釣り合いあたかも反応していないように見えるだけにすぎないのではないか。またそれまでの科学レベルでは見出せないほどの微量だったのか、反応の早さが認識できないほど早かったのか。代謝産物とされるものはその反応系における踊り場的存在にすぎないのではないのか。

単純化された非生理的系での反応は一部を表現するに過ぎず、生体の多くの反応系での結果は総和であり、生体では場合により別の効果が主体となりうるのではないのか。医学ではまだまだ分らないことだらけである。このように自然界は一方的ではなく、必ずそれに相反する作用を持つ世界があると言う考え方を受け入れ、特に医学においては既成の概念に捕われないもっと基本的考えのあり方を若い時代にじっくりと教える側も、学ぶ側もその重要性と価値をともに強く認識したいものである。生体反応での常識とは今の所は常識と考えたいものだ。