2005年9月号(第51巻9号)

歌人にみる人間の一生

群馬パース大学学長 小林 功

群馬大学を定年後、民間の病院に4年間、そして本年4月から再び医療系大学へ。聴診器と教職は趣味で、本職は文学(短歌)にあると周囲に強がりを言う昨今である。最近、『医学的「自然体」のすすめ』(悠飛社)を出版したが、その中から「病気」を詠んだ短歌を紹介したいと思う。

〇斎藤茂吉(1882-1953)
慌ただしく階下に降りて来たりしが何のために降りて来しか分からず
人間は成人に達すると、1日10万個ともいわれる脳細胞が減少するといわれる。「物忘れ」の所以である。茂吉は近代短歌の最高峰に位置する歌人で、精神科医でもあった。

〇宮柊二(1912-1986)
脳血栓芸術院賞ともに得し禍福あざなふ年も逝きたり
昭和を代表する歌人の一人。柊二は北原白秋を師と仰いだ。師弟ともに糖尿病で晩年苦しむ。糖尿病による大血管合併症として、脳梗塞(血栓)や心筋梗塞は広く知られている。

〇上田三四二(1923-1989)
腹水の腹を診て部屋をいづるとき白髭(はくぜん)の老は片手にをがむ
三四二も医師であったが、前立腺癌や大腸癌に苦しんだ生涯だった。この患者はアルコール性肝硬変だったのかも知れない。現在はC型肝炎から肝硬変、肝癌への移行が注目されている。

〇中城ふみ子(1922-1954)
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲笑(あざわら)ふがにひそかに成さる
昭和29年歌壇に華華しく登場したこの歌人は、この時すでに乳癌になっており、離婚、恋愛、恋人の死など経験し、31歳で夭折した。

〇窪田空穂(1877-1967)
最終の息するときまで生きむかな生きたしと人は思ふべきなり
長寿歌人、空穂晩年の歌。かくありたしと思う人生の最終の姿であろう。