2005年6月号(第51巻6号)

「災害と自己標識」

風土病調査会代表 浜松医科大学名誉教授
佐野 基人

談話会や講義の席上で、私は“死者にも一の礼儀がある”と、よくそのようなことを言ってきた。今世界中には、地上といわず空海のいたるところに様々な天災や事故のほか紛争などの災難があり、それによる死傷者があまりにも多くいるからである。

私が物心ついた頃、不自然な死傷者を沢山しかも毎日見たのは、空襲による火災で一命を落とされた人達であった。また、災害の跡かたづけの中、家屋の崩壊、ガス爆発、這いつくばった電線による感電等の二次災害でも、死傷された人達がいたことを記憶している。

近年は特に、あってはならない水難、地震および津波、それにテロ、放火等ストーカーによる犠牲者が後を絶たず、我々の日常生活をどんなに暗くしているかはかり知れない。

ここでは、事故原因やそれへの対応のまずさを質すつもりではないが、事故には必ずといって死者が伴う。そして手厚い死傷者への応対や足場に気を配りながらも迅速なる事故処理が待たれるところである。特に死者の状態は事故の種類、起こった場所や経過した時間等で一人として同じ死に様はないので、捜査に併せ迅速な鑑識が問題となってくる。

私は頻繁に飛行機等の乗り物を使い、時には危険なところを通ったり行ったりする。そこで、必ず認識されるとは限らないことは承知だが、明日はわが身という自覚に立ってまず身に付ける物、例えばベルトやファスナーの金具、衣類のどこかに身を明かすメッセージを記すことにしている。

身から離れ勝ちな所持品の場合、例えば手荷物、帽子や靴は事故の際飛散しても被災者の身の証をどこかで立ててくれるかもしれない。また、衣類もそうで使用者の認識に貢献してくれる場合がある。そこで更に自己の立証を強くさせる方法には、所持品、金具にはイニシャルを堀り込んだり、衣類では取扱注意タッグや裏地の余白に、私は朱印を押すことにしている。

願わくば、このささやかな自己標識方法の良し悪しが、私自身で実証されないことを願っている。

今日も数千万いや数億人の人達が色々な乗り物で移動していることだろう。事故は勿論避けなければならないが、事故処理の効率化は今こそ地球規模の課題と言える。

炎天下のもとで、毎日事故現場に通い肉親者を探す風景を見るにつけ、一日も早い死者の成仏のためにも、災害と自己標識を真剣に考えてみることこそ今日的課題と言えよう。