2004年11月号(第50巻11号)

モダンメディアの裏表紙

新潟大学名誉教授
屋形 稔

モダンメディアは裏表紙の随筆から読むという高い評価を得た本欄が通巻500号を記念して随筆集が編まれたのは平成9年8月であった。改めてとり出して懐しく一読すると、執筆者も多彩であるが昨今のエッセイ集に見られない抜群の面白さがある。

最初に当時の編集委員長の小酒井望旦那が「はじめて」を書き、暫く委員の先生方が交代で執筆、その後60号位から委員以外の執筆も加わったらしい。その頃小酒井さんの「編集同人棚おろし」という一片があり、佐々木正五、小張一峰、桑原章吾、乗木秀夫、中谷林太郎、松井武夫など錚々たる筆者を一刀両断にしている。しかしこの方々のエスプリとユーモア溢れる筆さばきは尋常ではない。

佐々木さんは「筆のたつ人」で、“筆のたつ人はなにかを書いて一人楽しむ癖があり、書かない人は他人に書かせて楽しむ傾向がある”とか、「先生」では医者を含めた先生なる種属に対しバーナード・ショーの定義を引用し、“出来る者はする。出来ない者は教える”なんて書いている。総体的に随筆全片に筆者たちの臨床検査というものへの愛情と希望が滲み出ており楽しく爽快である。

時には思いがけない文章にもつき当る。田所一郎さんの「黴菌図譜(後藤新平訳)」などがそれで、明治26年に後藤新平がドイツのギュンテル博士の著を和訳していたとは知らなかった。彼は政治家として大成し晩年東京市長として昭和通りを完成したことで有名であるがスタートは医者である。岩手の産であるが福島の須賀川にあった医学校の数少ない卒業生で、私の祖父と同級でわが家にも数々のエピソードを残している。

福島といえば土蔵とラーメンの町喜多方出身で私の大学後輩の鬼才大森昭三氏も随筆の好材料である。小原庄助の如く朝寝朝酒ヘボゴルフを楽しみ、東京逓信検査部長時代から逸話に事欠かない。本誌編集者の厳父と聞くが本人か誰かの筆で裏表紙に登場していただきたい。