2004年4月号(第50巻4号)

国立大学の法人化と自己責任

島根大学医学部 臨床検査医学 益田 順一

平成16年4月、国立大学が法人化された。つまり、取締役社長が文部科学大臣から学長に変わったのである。今後は、自分たちで進路を選択して実践し、経営しなさい。そして、その結果がよければ給料をあげてもよいが、逆に、うまく行かなければ給料が下がることもある、場合によっては倒産もありうる。でも、それは自分で決めた事だからしようがない。それが自己責任である。ご尤もな話しではある。

イラクでの日本人人質事件以後、巷では自己責任論が吹き荒れている。自分が判断して行った事の結果には自分が責任を持ちなさい。成人の社会では当たり前の事である。私はテレビの討論番組が好きで、休みのときはよく見ている。

いつも政府の方針に文句を言っている学者や評論家もこの自己責任論では意見が一致している。みんなの意見が一致している時は、討論番組をみていても面白くないし、どこかうさんくさいと思ってしまう。そんな時、思い出した。「国立大学も法人化で、自分の進路を自分で決めることができるようになったが、その結果は自分で責任をもちなさい。」私たちは、そんな自己責任の大きさを感じているだろうかと疑問に思った。

最近、テレビの討論会に大学教授がよく出てきて、自説を力説している。大学の先生の学説が本当に的確であるのなら、国立大学法人化は万々歳である。優秀な国立大学の先生が集まって、大学の経営戦略を練るのだから誤りをするはずがないからである。日本の政治も経済運営も学者に丸投げすればよい。

私が奉職している大学は、昨年10月に大学統合を行った。大学法人の学長も理事も皆、経営の素人である。病院業務や経営経験のある人は一人もいない。プロフェッショナリズムの自覚のない人に自己責任を求めても無理な注文で、イラクの人質事件はそれを如実に物語っている。自己責任論は自分の安全は自分で守る備えが必要という。医療経済の荒波の中に丸腰で放り出されたような気がしてならない。