2026年10月号(第72巻10号)

パワーポイントによる講義は、
学生にとって本当に有用なのか?

元東京逓信病院病理診断科部長
田村 浩一

 私が学生だった半世紀前の医学部の講義といえば、黒板を使った「板書き」が主体であった。中にはほとんど黒板を使わず、学生に向かって話を進める教授もおられた。スライドを使う講義では、暗幕を引いた真っ暗な部屋で投影されたのを記憶している。ある講義でのスライドが黒をバックに白文字が書かれたもので、わずか3分も経たないうちに爆睡した覚えがある。
 パワーポイントの登場で、授業形態は大きく変わった。カラー画面で色鮮やかに要点が記載され、時には動画も挿入されて、学生はテレビや映画を見るように講義を視聴すればよい。パワーポイントのデータが講義資料としてそのまま、あるいは配布資料印刷の形で学生に渡されることも少なくないようだ。しかし、これで教育効果は本当に向上したのだろうか?学習のピラミッドでは座学が記憶に残るのは5%程度と言われているが、パワーポイントを使う講義はそれ以下ではないだろうか。もしサボり魔だった私が今の学生だったら、資料さえあれば試験勉強はできるので、ほとんどの講義に出席しないだろう。
 自分はコロナ禍でリモート講義になるまで、大学では板書きの講義を通してきた。模式図で示した組織所見に書き足しや書き換えをしていくのが、病理組織の経時的な変化を示すのに便利だったこともあるが、何よりも「パワーポイントを使ってエッセンシャルミニマムの講義を」という風潮への反発が大きな理由だった。
 大学時代に受けた講義で記憶に残ったのは、授業中の教授の雑談である。講義内容に関係しての経験談などが主だったが、卒後に何か疾患に出会った時に、まず思い出すのはそのような雑談で、そこから講義の内容も「そう言えば・・」と思い出したものだ。パワーポイントを使うと、間に雑談は挟みにくいし、必要最低限を求められる風潮では「無駄」と捉えられかねない。コロナ禍ではリモートで講義のビデオが流されたが、そうでなくとも、パワーポイントを使うと「ライブ」講義の価値は失われてしまうと思う。
 自分は現在、大学の講義からは退いたが、専門学校で病理学の講義を担当している。そこでは講義時間の関係もあり、やむなくパワーポイントを使い、資料印刷を配布している。なるべく「雑談」を挟むことにしているが、黒板を使う授業でできた「これはなぜだと思う?」という問いかけは、配布資料をみれば答えが載っているという状態では難しい。つまり学生が授業中に自分の頭で考える時間は取りにくいのだ。そこでパワーポイントの中で、文章中のキーワードなどを伏字にした資料をつくってみたが、これが予想外に学生の評判が良かった。曰く、「眠くならない」「頭に入りやすい」とのこと。
 医学部では教育改革が進んでいるが、講義を皆無には出来ないだろうし、コ・メディカルの学校では、いまだ実習と講義という教育方式が多いと思う。「便利すぎる物は人を退化させる」という言葉があるが、学生教育のおけるパワーポイントの活用も、工夫をこらさないと、要点を漏れなく伝えているという「教える側の満足」が「学生の教育効果」には結び付かないことを危惧している。