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2026年8月号(第72巻8号)
日本ウイルス学会の学術集会に関連して今なお心に深く残る思い出が二つある。
その一つは山田守英教授が1969年に札幌で開催した第17回学術集会の折のことである。
北海道での学会ともなれば学会もさることながら、この機会を利用した観光旅行にも自ずと気が向いてしまうことになる。実際上多くの学会員が学会での所用を済ませ次第、広大な北の大地に向かって四散していったものと思われた。学会の会期は4日間で、二つの会場で実施されたが、第4日目の午後は第一会場のみで行われた。その結果、最終日午後のこの会場ではもはや人影はまばらとなり閑散としていた。
いかなる因果か私は本学会のプログラムによれば第一会場最終日の最後の演者に指名されていた。その当日、私の直前の演者の発表が終ると、同僚と思われる数名が一斉に席を立ち演者と共に会場を出ていった。その後の会場にはもはや人影が感じられず、ずらりと並んだ顆しい数の空席が印象深く眺められた。所が、広い聴衆席にただ1人ぽつねんと坐っている姿が目に止った。その方は予研(現感染研)の北岡正見博士であった。
私は学会の最後の演者として、同博士と座長を前に普段どおりの発表を行った。私の講演が済み、更に閉会が宣言されたとき、私は直ちに博士のもとに歩み寄って一礼した。「新居君、今回は残念でしたね」という、そのとき賜ったお言葉は今も私の心に留まっている。
二つ目の思い出は1971年松本稔教授開催の、第19回学術集会に関係する。学会発表を意図した私は演説抄録を学会事務局宛送付した。
所が、その後事務局から届いたのは思いがけなく不採用の通知であった。その通知書には幹事会(現在の理事会に該当)での審査の結果、不採用と決定した旨の記載があった。
滅多にだされることのない不採用の判定を前にして私は大きな衝撃を受けた。同時に私は自らが為した研究の何処に欠陥があるのかについて検討を繰り返し、輾転反側の眠られぬ夜を過ごした。
翌朝私は学会事務局に電話し、担当秘書に不採用についての事情説明を求めた。間もなく学会長ご自身による折り返しの電話があり、「このたびの不採用の通知は、当方の大変な事務的誤りによるもので、貴方の抄録は採用されておりました。深くお詫び致します」という主旨の平謝りのお言葉を頂戴した。
上記は私の過失とは無関係の全く予期せぬ出来事であったが、私の研究人生に課せられた試練の一つと受け止めて今日に及んでいる。