2024年6月号(第70巻6号)

近代医学の黎明期
―その文献を訪ねて

帝京大学 名誉教授
紺野 昌俊

 定年退職後、学位論文作成当時に参照とした文献を読み直すことにした。改めて感動した文献は、疫学の大家Hirsh 編纂によるHandbook of Geographical and Historical Pathology(1883 年)に記載されている丹毒の章である。そこには“自ら思索せずに先人の権威に頼るところに文化の失墜がある。ローマ帝国におけるギリシャ医学の継承者ガレノスは、丹毒は頭部に限局すると記していたが、誰もがそれを信じてきた。愚かなことであった”とルネッサンスの大意が引用して、続いて丹毒による院内感染の実態と石炭酸による防疫法が克明に記されている。現在に通ずる院内感染対策である。
 近代医学は1876年Kochが炭疽菌のライフサイクルを実証したことから始まるとされている。多くの研究者がプライドとプライオリティを掛けて病原細菌の発見を競った時代である。当時に装備され始めた集光対物レンズと油浸レンズが付いた顕微鏡も一助となった。最も重視されたのは動物による再現実験である。いずれの論文にもlaboratorynote が延々と記されていた。肺炎球菌には爪状に膨隆した大きな集落であるとしたFriedländer の論説と、中央が陥凹する小さな集落が肺炎球菌であるとしたFränkel の論説の間には激しい対立が生じた。実際にはゲンチアナバイオレットで染色した爪状コロニーは無水アルコールによって容易に脱色され、そのことは皮肉にもFriedländer の共同研究者であったGram によって示された。結局、決着は論争の間にあったWeichselbaumによってである。漁夫の利とも言うべきかもしれない。余談であるがFriedländer が観察した培地にも実際は中央が陥凹した小さなコロニーも存在していた。肺炎球菌の変異株として無視されていたのである。培地に発育してくる小さなコロニーを見過ごしてならないことは臨床細菌学の鉄則である。詳細はモダンメディア57 巻 第7 号 第8 号、第11 号、58 巻第7号に連載の“ 臨床微生物学の礎を築いた人々”を参照されたい。