2023年11月号(第69巻11号)

前代未聞の単著教科書『真島生理学』

帝京大学 医真菌研究センター 客員教授
山口 英世

 以前にこの随筆欄で1人の学者/研究者が単独執筆した(つまり単著)の効能を論じたことがある(「著書と編書」本誌通巻650号)。そうした教科書をとりわけ必要とするのは、これから学ぼうとする特定の学問分野にまだ触れたことのない学生である。そんな学生を相手に当該分野の全体像をわかりやすくしかも体系的に伝えようとする場合、最初から最後まで同じ人が語り通すほうが、部分部分を別々の人が受け持ってばらばらな口調で語られるよりもはるかに勝るのは当然だからである。理屈はその通りであるが、昨今における生物科学の驚異的な進歩によって絶えずもたらされる厖大な知見を1人の著者が整然とまとめ上げることなど誰が考えてもほとんど不可能というほかない。
 しかし信じ難いことであるが、それを可能にした生理学者がかっておられた。真島英信博士がその人である。東大医学部学生時代に秀才の誉れ高かった真島博士は、1995 年、33 歳の若さで順天堂大医学部生理学教室教授に就任すると、翌年4月に「生理学」初版(文光堂)を出版した。この教科書の際立った特徴は、カバーする内容が従来の生理学の域を超えて解剖学や生化学との関連性にまで及んでいるために、人体または生命現象の包括的に理解できるようにした点にある。これだけでも大変な能力とエネルギーと時間を要することは想像するまでもないが、さらに驚くべきは新知見をとり入れた改訂を絶えず行い続けたことである。その数は博士が他界されるまでの30年間に18回にも及んだ。何がそこまで博士を理想の教科書作りに駆り立てたのか、その答えは初版の序文からうかがい知ることができる。「…私は生理学を愛する。しかしそれ以上にあの純粋な向学の心を愛する。…」。真島博士は研究者よりも教育者であることを優先したのである。「真島生理学」とよばれたこの教科書が長年にわたって全国の医学生に広く愛好されたのはいうまでもない。
 私が「真島生理学」を知ったのは、南山堂のK 氏から私の最初の単著となる「今日の抗生物質」の執筆を依頼された時である。K 氏は「先生に目指して欲しい教科書のお手本がこれです。」と言って渡して下さったのが同書の改訂第17版(1978 年刊)だった。「今日の抗生物質」(1984 年刊)は初版だけで終ってしまい、残念ながらK氏の期待に応えられなかった。それから15 年経った1999 年にスタートした「病原真菌と真菌症」は幸い改訂4 版(2007 年刊)まで版を重ねることができ、少しだが肩の荷が下りたような気がしている。