2023年6月号(第69巻6号)

科学の進歩と科学者の堕落(続)

国立医薬品食品衛生研究所
三瀬 勝利

 不幸なことに近年、科学をめぐる不祥事は、ますます多く深刻化している。爆発的に増加しているようにも思える。学会全体の倫理観が低下しているとしか思えないが、ここでは触れず、司馬遼太郎氏も絶賛している二宮敬作の人柄と業績を紹介しておきたい。
 敬作は愛媛県南部の、今は八幡浜市の一部になっている磯崎の生まれである。若い時から学問への情熱はやみがたく、苦労して長崎にわたり、シーボルトの門をたたいた。時を経ず、その真面目で誠実な性格はシーボルトの高い信頼を得るところとなった。彼が如何にシーボルトから信頼を受けていたかを示す証拠としては、欧州への帰国に際して、シーボルトが長崎の芸者との間で儲けた愛娘(おいねさん)の養育を敬作一人に託した事実を紹介するだけで十分だろう。後年、おいねさんは敬作のことを語るときには、姿勢を正して「敬作先生は…」と語ったと伝えられる。第一次シーボルト事件の折にも、巻き添えを食らって投獄の憂き目にあっているが、少しも乱れるところがなかった。故郷の近くで開業し、有能な医師として尊敬を一身に集めていた。おいねさんもそこで敬作の助手として医術を学んだと伝えられる。敬作の病院はすべての人に対して開かれ、貧者からは診療費を受け取らなかったことも多かった。不祥事を起こす現在の科学者たちとは人間の出来が違うようである。
 当然のことながら、民衆は敬作を敬慕しており、生まれ故郷の磯崎の公園(二宮敬作記念公園)には、彼の銅像が建てられている。また、毎年、磯崎から彼の病院があった西予市宇和町卯之町までの31キロを、敬作の業績に思いを馳せながら、歩くウォーキング大会が晩秋に行われており、100 名を超す参加者がある。