2022年9月号(第68巻9号)

様変わり(続)

国立医薬品食品衛生研究所
三瀬 勝利

 上記の小文は約10 年前の食中毒統計の特徴を紹介したものであるが、この傾向には今日でも大きな変化もなく同傾向が続いている。我が国では相変わらずノロウイルスとカンピロバクター食中毒の患者数が多く、腸炎ビブリオや黄色ブドウ球菌食中毒の患者数は少なくなっている。
 「腸炎ビブリオ」の命名者・福見秀雄先生(黒住医学研究振興財団の初代理事長でもあられた)のお墓は愛媛県松山市の道後温泉街の背後にある鷺谷墓地の頂上近くにあり、そこから松山市を一望できる。筆者は福見先生と同じ愛媛県出身者でもあるので、帰省時に時間に余裕があるときは墓参している。福見家の墓石は2 基並んでおり、向かって左が松山福見家(福見先生のご両親や兄上の家族)の、右が東京福見家のものである(写真参考)。福見先生の遺骨が納められている東京福見家の墓石の側面や背後には、福見富子(福見先生の奥様)建立という文字以外の文字は彫られていない。どこにも福見秀雄の文字が見当たらず、元国立予防衛生研究所長などという経歴も、勲2 等旭日重光章授章などの授賞歴も刻印されていない。死がすべての終わりであり、生前の自己の存在は記録にとどめる必要がないという先生の哲学の反映であろうか。先生らしいお墓であると思うとともに、清々しさを感ぜられるお墓でもある。
 なお、鷺谷墓地の下方には、司馬遼太郎作『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山好古陸軍大将の墓もある。背後にある大きな大将の顕彰碑がなければ、見過ごしてしまうほどの小振りの墓である。生前、名声を追うこともなく、清貧の中に生きた人柄が反映されている墓でもある。献花が絶えない。