2021年10月号(第67巻10号)

東京の坂巡り

東京逓信病院病理診断科 元部長
日本医科大学 客員教授
田村 浩一

 コロナ禍の中、家に閉じこもっていては体力が低下するばかりと思い、人通りのない裏道を選んで散歩を始めた。ある日、長さ100mはあろうかという細長い階段の坂にであった。坂の途中に文京区が設置した「鼠坂」という標識があり、名前の由来なども記されていた。散歩しながら探すと、あちこちの坂に案内板がある。そこで文京ふるさと歴史館を訪ね「ぶんきょうの坂道」というハンドブックを入手した。初版は昭和55 年3月だから、昔から「坂好き」がいたことがわかる。115カ所の坂の案内と地図が載っており、それを頼りに昨年、今は無くなった2 つを除き、113カ所の全てを踏破した。乗り物は使わず、本郷にある我が家から歩いて往復したので、1日1万歩は優に超えたが、案内書に記された江戸時代の付近の様子に思いをはせたり、昔読んだ小説に出てきた坂の名に出会ったり、楽しい散歩になった。
 文京区には5つの台地と4つの谷があり、これを結んでいくつもの坂が平行に並んでいる。標識がどこにあるかわからぬ内は、それを探して1つ1つの坂を上ったり降りたり繰り返したが、「坂学会」のホームページから情報が得られることがわかった。全国の坂のさまざまな情報が提供されているが、東京の坂は区ごとに、各坂のprofileとして坂の写真/ 標識の有無と設置場所/ 案内板の記載内容が載っている。おかげでスマートフォン片手に区外にも足を延ばして廻れるようになった。標識板の形態は区によって異なり、標識の設置数も、100以上ある区と10にも満たない区がある。2 つの区の境界となっている坂では、道路を挟んでそれぞれの区が立てた標識が相対している所もあり、案内の記載内容がそれぞれ違うのも面白い。都が設置している標識もわずかにあるが、いずれも古く黒ずんだ金属板で、ほとんど文字が読み取れないものばかりだ。むしろ江戸時代の、坂名を掘った石をみつけると趣を感ずる。
 標識は各区の教育委員会が設置し、設置年月日も記載されている。文京区の標識は古いものは筆文字、新しいものは教科書体のフォントのようたが、昭和に建てられた標識の文字が美しい。友人の書家にLINEで写真を送ってみると、昭和の毛筆は明らかに手書きで、とても美しい文字だという。早速、区の教育委員会に書いた書家の名を問い合わせた所、「全て毛筆フォントです」という答えが来た。しかし改めて見直すと、同じ文字でも形や大きさが違い、漢字とひらがなのバランスも絶妙で、手書きであることは素人目にもわかる。写真を付けて再度メールを送った所、すでに退職した当時を知っている元職員に問い合わせてくれた。その結果、制作委託業者が依頼した人(氏名等は不明)が書いた手書きの文字をエッチング加工したものであることが判明した。当時は巷に、無名でも惚れ惚れするような美しい筆文字を書く人がいたことがわかり感慨深かった。
 文京区では2020 年10月に文京区案内標識等統一化計画が策定された。坂の標識はしばらく残すようだが、道路の拡張工事などで撤去されたものもあり、表に坂名、横に由来などが毛筆フォントで書かれた四角い柱に変えられた所もある。古くなった物から順次交換していくようで、味わいのある手書きの筆文字の標識が無くなっていくのはさみしい限りである。