2020年12月号(第66巻12号)

検疫の始まった場所

元 国立感染症研究所室長
加藤 茂孝

 2020年新型コロナウイルスが世界同時不安を引き起こした。日本での流行の初期段階で横浜港に着岸したダイアモンド・プリンセス号の検疫で、一般の方にも「検疫」と言う言葉とその意味が浸透した。海外旅行の際に必ず通過する場所であるが、素通りする事が多く今までは軽く考えられていた機能である。
 検疫の英語quarantineの語源は、イタリア語のquarantina 40 日に由来する。14 世紀のペスト(黒死病)の上陸流行を避けるために、来航した船は全て40 日間港外で待機し、その間に新たな発症がないことを見極めてから初めて上陸を許された事による。検疫に関心のある人には常識であり、また1377年がその最初であることも私は知っていた。
 新型コロナの流行で、検疫に関して新たに二つの事を知って驚いた。その一つは、ダイアモンド・プリンセスのように船に乗ったまま上陸を禁止される大変さに同情していたが、実は港外の小島に隔離されていた事だった。その島はベネチアではどこだろうと探し回り、島の名前ラザレット・ベッキオ(古い墓地)とラザレット・ヌオボ(新しい墓地)まで分かったが、日本で調べた地図では所在が分からない。イタリア生まれイタリア育ちの日本人女性から、初めてイタリアの地図を手に入れることが出来、所在が分かった。二島ともベネチア本島の中心部のサンマルコ広場からそれほど遠くはない。
 驚きの二つ目は、私はベネチアが検疫の最初の地だと思い込んでいたが、そうではなく、現在ではクロアチアに所属するドブロブニク港の近くのロクルム島などであったことである。このすぐ後でベネチアでも検疫が始まったのであろう。ベネチアでは当初は30日の隔離であったが、期間が不十分であり1448年には10日間延長して40日間とすると改定され、それで「40」が固まった。
 2007年にラザレット・ベッキオで教会建築の為に工事が行われて、500 体の人骨が発見された。整然と並べて重ねて埋葬されていたが、すべて記録ではペストの患者であった。
 当時のベネチア共和国は、広くアドリア海沿岸に領土を広げていたが、ドブロブニクは1358年ラグーサ共和国としてハンガリーから独立を果たしており、1377年はベネチア領ではなかった。ベネチアは地中海貿易で繁栄したので、ベネチアがこの制度と単語を広げたと考えられる。この単語が初めて文書で確認されるのは、
Kleinの語源辞典によると1458年である。