2020年11月号(第66巻11号)

冬の夜長の瞑想 続編(その2)

岩手県赤十字血液センター所長
岩手医科大学歯学部客員教授
中居 賢司

 1950 年生まれの“寅年”である。幸いにも戦争を知らない世代である。7年前に、3.11の東日本大震災を経験したが、幸い、居住区での大きな被害はなかった。運命の必然と偶然を感じる。私は長年医療に従事している。医学・科学の進歩は目覚しく、ビックサイエンスと技術進歩により高度先進医療が進んでいる。世界に誇る国民皆保険制度を有する日本では、現在、衣食住や医療に困窮することは少ない。“ 飽食・美食が遠因の1 つである”長くて辛い介護の元凶となる脳血管疾患や心血管疾患が増加していることは、時代の皮肉でもある。一方、現代社会は技術連関の巨大化と経済性と利便性が基盤となり、人間関係が多様・多層で希薄となってきている。マネーゲームや哲学の無い安易な政権選択のための稚拙な政策と国のグランド・デサイン欠如など、時代が混迷を極めている。再び1930年代の前夜を思わせる。もてはやされるIoTの興隆とは裏腹に、“人間は考える葦”であるといわれた本来あるべき人間の優れた能力を放棄しつつある。論語、菜根譚、BUSHIDO など多くの古典を読むにつけ、文明の進歩とともに人間の“智慧”は退化し、“文化”の崩壊を感じる一瞬がある。何かがおかしい。
 高齢化社会で重要なことは、何か? 冬の夜長に、再び、想う。健康と家族との絆と社会的使命の一躍を担うことが肝腎と想う。座右の銘の一つである、貝原益軒「養生訓」での「人の命は我にあり、天にあらず」は、名言である。300年も前に、84歳にして儒学を基盤とした考え方と食生活などを含めた健康であるための生き方を説いた貝原益軒の識見には敬意を表するものである。年金制度や社会保障などの国の不備を嘆くより、両親より授かった我が健康を大事にすべきことが基本と思う。高齢社会のなか、岩手の偉人・新渡戸稲造のBUSHIDO精神と貝原益軒「養生訓」を学ぶことにより、健全な精神と老いる肉体の養生が重要であることを改めて知ることとなった。